15 君がため春の野にいでて若菜つむわが衣手に雪はふりつつ
きみかため はるののにいてて わかなつむ わかころもてに ゆきはふりつつ
【私解】あなたのために、春の野に出て行って若菜を摘んでいる私の袖に、雪が降っては置き、降っては置きしています。
【語釈】◇君がため この「君」が具体的に如何なる人物を指すか不明。出典の古今集の詞書でも「人」としか言っていない。◇若菜 「菜」は食用となる草。◇衣手(ころもで) 袖または袂を意味する歌語。
【出典】古今集巻一(春上)「仁和のみかど、みこにおましましける時に、人にわかなたまひける御うた」
【主な他出文献】「仁和御集」、「新撰和歌」、「古今和歌六帖」、「定家八代抄」、「秀歌大躰」、「詠歌大概」、「定家十体」(麗様)、「別本八代集秀逸」(家隆撰)、「新時代不同歌合」
【作者・配列】
作者は仁明天皇の皇子。宇多天皇の父。幼少より聡明で読書や音楽を好んだという。皇位継承に無縁な立場で育ち、成人後は常陸太守・中務卿・大宰帥・式部卿など重職を歴任した。元慶元年(877)、辞職を請うたが許されず、同六年、一品に至る。同八年(884)、13陽成天皇の譲位を受けて践祚。時に五十五歳であった。藤原基経を実質的な関白に任じ、万政を委ねた。在位期間こそ短かったが、文事を好み古風を復活し、宇多・醍醐朝の和歌復興の基をなしたとも言われている。12遍昭と親交があった。仁和の帝・小松の帝とも呼ばれる。御製を集成した『仁和御集』は十五首を載せるばかりだが、ほとんどが勅撰集に採られた珠玉の歌集である。
百人秀歌では18番に位置し、17番の河原左大臣と対になる。「乱れそめにし」と詠んだ河原左大臣の歌と並べられることで、古今集では春の歌である光孝御製は恋歌の趣を帯びることになる。
【他の代表歌】
かくしつつとにもかくにも永らへて君がやちよにあふよしもがな(古今集)
きみがせぬわが手枕は草なれや涙のつゆの夜な夜なぞおく(新古今集)
【覚書】契沖はこの歌を古今集に戻して「若菜たまふとは賀を給ふといふ義あれど、然らば賀部に『春日野に若菜つみつつ』といふ歌もあれば、彼のつづきに入るべし。春部にあれば、只若菜をたまへるにて、其中にいはふ心はおのづから有るべし」と指摘している(改観抄)。萌え出る若菜は生命力のシンボルであり、これを食することは一年の健勝を祈るまじないであった。また、新春の雪も吉兆とされた(「新しき年の始めの初春のけふ降る雪のいやしけよごと」家持)。のびやかな調べにのせた古雅な趣きを味わう中に、「おのづから」息災長寿を祈る心がこもるところが一層めでたい。
なお、『蜀山先生 狂歌百人一首』の「秋の田のかりほの庵の歌がるたとりぞこなつて雪は降りつつ」は天智・光孝御製の語句の類似を言ったものだが、「身をやつした天皇」の歌であることも両首の共通点である。よく似た下句によってペアとなるこの二首は、末尾の後鳥羽・順徳両院の苦い述懐歌の周到な伏線となる。
【主な派生歌】
君がため衣のすそをぬらしつつ春の野にいでてつめる若菜ぞ(「大和物語」)
誰が為とまだ朝霜の消ぬがうへに袖ふりはへて若菜つむらん(藤原定家「続後拾遺」)
しろたへの袖にぞまがふ都人若菜つむ野の春の淡雪(後鳥羽院「続拾遺」)
里人のすそのの雪をふみ分けてただわがためと若菜摘むらん(〃「遠島百首」)
君がため出づる野原のかたみにやしひても春の若菜つむらん(順徳院)
霞しく荻の焼原ふみわけて誰がため春の若菜摘むらん(九条道家「続後撰」)
若菜つむ我が衣手も白妙に飛火の野べは淡雪ぞふる(藤原為家[続古今])
いざけふは衣手ぬれて降雪のあはづの小野に若菜つみてん(〃[新千載])
今よりは若菜つむべきふる里のみかきが原に雪は降りつつ(西園寺実兼「新後撰」)
すみれ草つみつつかへる春の野にたがためとなく袖ぬらしけり(貞常親王)