芙蓉 ふよう 木蓮(きはちす) Cotton Rose, Confederate Rose

芙蓉の花 鎌倉市二階堂にて

陽暦八月も半ばを過ぎる頃、芙蓉の花が盛りを迎える。私の近所では、民家の庭先はもとより、道端などで野生化したものもよく見かける。

アオイ科の落葉低木。花は木槿(むくげ)によく似ているが、一般に木槿より花期は遅れ、花びらはやや大ぶりという印象がある。木槿と同じく所謂「一日花」で、朝咲いて夕方には萎んでしまう。俳諧では秋の季語、「枝ぶりの日ごとにかはる芙蓉かな」(芭蕉)、「一輪の芙蓉に秋をとどめたり」(虚子)など佳句に事欠かない。ところが和歌ではほとんど詠まれておらず、江戸時代になって少数の例が見えるばかりだ。

『柿園詠草』  芙蓉  加納諸平

秋津羽のうすくれなゐの花の色に夕日のかげをかさねてぞみる

日に透ける薄い花びらを「秋津羽(あきつは)」すなわちトンボの羽で喩え、淡い紅に夕日の光を重ねて見る、とは艶な趣向だ。尤も、題に「芙蓉」となければ何の花を詠んだ歌か悩むところかも知れない。いや、やはり木槿でも立葵でもなく、初秋に咲く繊細でたおやかな芙蓉なればこその風情は出ているのではないだろうか。

酔芙蓉の花 鎌倉市宝戒寺にて

因みに源氏物語に「太液の芙蓉、未央の柳もげに通ひたりしかたちを」云々と美人の顔(かんばせ)に喩えられた「芙蓉」は、白楽天『長恨歌』に由来し蓮の花を指す。平家物語「許文(赦文)」の「唐の楊貴妃、梨花一枝春の雨を帯び、芙蓉の風に萎れつつ」の「芙蓉」も無論蓮の花。但し山川登美子の名高い「わが息を芙蓉の風にたとへますな十三絃をひと息に切る」の「芙蓉」は与謝野鉄幹との応酬からするとアオイ科の芙蓉と見て良さそうだ。

二つ目の写真は栽培品種で酔芙蓉(すいふよう)の花。咲き始めの朝は白く、午後は薄紅に、夜は紅へと変化して、翌朝凋む。

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  『紫』 与謝野鉄幹
芙蓉をばきのふ植うべき花とおもひ今日はこの世の花ならず思ふ

  『恋衣』 山川登美子
秋かぜに御粧殿(みけはひどの)の小簾(をす)ゆれぬ芙蓉ぞ白き透き影にして

  『寂光』 吉植庄亮
かたむけるうすべに芙蓉稚子(をさなご)の布の帽より大きくありけり

  『花餅』 黒田淑子
諍はず逢はん日の来よ芙蓉の花種子を包みて花終りたり


公開日:平成17年12月8日
最終更新日:平成18年2月3日

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