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初夏、大きな葉を池に浮かせ始めた蓮は、やがて水面から茎を高く差し伸ばす。径40センチほどにもなる葉はよく水を弾き、表面に置いた水滴を風にころがす。
『古今集』 はちすの露をみてよめる 僧正遍昭
はちす葉のにごりにしまぬ心もてなにかは露を玉とあざむく
「はちす」は
沼や湿田に育ち、泥水に染まることなく清らかな花を咲かせる蓮。そんな清浄な心を持ちながら、どうして人を欺くような真似をするのか、と戯れた。
蓮が仏教と縁の深いことは言うまでもないが、釈教の寓喩を籠めているわけではあるまい。古今集では夏の部に入る歌だ。日頃見馴れた池の蓮に対する親しみをこめた、仏者らしい風流のまなざしと解したい。
夏も盛りとなれば、蓮池はびっしりと葉で覆われ、熱帯的な風景を見せる。浮いている葉は「
『金葉集』 水風晩涼といへる心をよめる 源俊頼
風ふけば蓮の浮葉に玉こえて涼しくなりぬ日ぐらしの声
『長秋詠藻』 夏 藤原俊成
小舟さし手折りて袖にうつし見む蓮の立葉の露の白玉
夕立のあと、風と共に浮葉の上をすべり、こぼれてゆく露の白玉――そこへ蜩の声を響かせてさらに涼気を添えた俊頼の詠。小舟で池に乗り出し、手折った立葉の露の白玉を袖に移したいと願った俊成の詠。いずれも、蓮の葉とそこに置いた白露の清らかな美への憧れが、蒸し暑い日本の夏に一服の涼を求める心と結び付いているようだ。
なお、晩秋から冬の枯れ蓮もよく歌に詠まれたが、別項で取り上げたい。
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『万葉集』巻十六(詠荷葉歌) 長意吉麻呂
蓮葉はかくこそあるもの意吉麻呂が家なるものは
『万葉集』巻十六 作者不明
ひさかたの雨も降らぬか蓮葉に溜まれる水の玉に似たる見む
『六帖詠草』(荷露似玉) 小沢蘆庵
玉かとてつつめば消えぬ蓮葉におく白露は手もふれでみん
公開日:平成22年07月17日
最終更新日:平成22年07月17日