大伴宿禰継人
おおとものすくねつぐひと
- 生没年 ?〜785(延暦4)
- 系譜など 古麻呂の子。国道の父。善男の祖父。
- 略伝 777(宝亀8)年、遣唐使判官として入唐。翌年、漂流の後帰国。779(宝亀10)年4月、従六位上より従五位下に越階昇叙。同年9月、能登守。翌780(宝亀11)年3月、伯耆守。781(天応1)年4月、光仁天皇不豫の際、美濃国固関使。この時も伯耆守。同年5月、近江介(この時の近江守は藤原種継)。783(延暦2)年4月、左少弁。785(延暦4)年、造営中の長岡京で藤原種継が暗殺されると、同族の竹良らと共に捕えられ、窮問されて暗殺事件の首謀者に家持の名を挙げ、早良皇太子の共謀を自白したという。主犯格として直ちに斬刑に処せられた。死後、806(大同1)年3月に至って本位(正五位上)に復された。
系図へ