大伴連長徳
おおとものむらじながとこ
- 生没年 ?〜651(白雉2)
- 系譜など 咋子の子。御行・安麻呂の父。名は馬養(馬飼)とも見える。
- 略伝 632(舒明4)年10月、唐使高表仁らの船が難波津に停泊した際、一行を迎えるため江口に派遣される。この時船32艘・楽器・旗幟などを飾り整えたという。642(皇極1)年12月、舒明天皇の喪葬の礼に際し、大臣蘇我蝦夷に代わり誄(しのびごと)を奉る。この時小徳(冠位十二階の第2位)。644(皇極3)年6月、連理の百合の花(祥瑞)を献上する。645(大化1)年、孝徳天皇即位式の際、金の靫を帯びて壇の右に立つ。649(大化5)年4月、大紫位右大臣。『公卿補任』によれば651(白雉2)年7月に薨じたという。
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