葛井連諸会
ふじいのむらじもろあい
- 生没年 未詳
- 系譜など 父母等は未詳。諸会はもろえ(ゑ)と訓む説もある。葛井連はもと白猪(しらい)史。『続紀』790(延暦9)年7月の津連真道らの上表によれば、百済貴須王の孫辰孫王の末裔という。720(養老4)年5月に葛井連を賜姓され、791(延暦10)年1月には葛井宿禰を賜わる。『新撰姓氏録』によれば菅野朝臣と同祖で、鹽君男味散君の後。氏の名は河内国志紀郡藤井の地に由来するという。
- 略伝 735(天平7)年9月以前、美作守阿倍帯麻呂らの殺人事件につき、訴えの処理を怠ったとして右大弁大伴道足らと共に罪に坐したが、詔によって赦された。741〜743(天平13〜15)年頃、山背介。745(天平17)年4月、正六位上より外従五位下に昇叙。746(天平18)年1月、元正太上天皇の御在所での肆宴に参席し、応詔歌を詠む(17/3925)。747(天平19)年4月、相模守。757(天平勝宝9)年5月、従五位下。『経国集』には和銅四年(711年)の対策文2首が見える。
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