2000年8月9日
出張先から、早目に帰宅。会社に帰るより、家に帰る方が近いのでいつもの通り。まず、おしぼりとビール。ジャイアンツは清原のタイムリーヒットと高橋由のスリーランで4点のリード。ビールがうまい。
テレビで野球を見ながら、白角の水割りを作る。「との」を隣の椅子に座らせて、ししゃもの頭を食べさせる。塩分が無いので美味しいのか、さかんにお代わりの要請をしている。
「との」は食事の時は行儀が良い。私の方は鴨の薫製をつまみながら、水割りをのみ、ししゃもの塩分を確認しては「との」にあげるので、忙しい。
2000年8月15日
妻の、今は亡き父親は3年半前に亡くなったが、酒の好きな人だった。若い頃にはそこそこ、酒の上の失敗をしたらしいが、僕が妻と結婚した頃には本当に酒飲みの鑑のような人だった。新婚の頃は、家で飲むだけでは足りないだろうと、行き付けの居酒屋に連れて行ってくれた。
今年は、3年ぶりに義父の位牌に香華を手向けて、お義父さんのような酒飲みになれそうだ、と報告してきた。今年は、義兄も我が家が帰省する日程に合わせて休暇を取ってくれ、義父にますます似てきたなあと思いながら、楽しい酒を飲むことが出来た。
楽しく酒を酌み交わせる関係になるのに、ずいぶん時間がかかったような気がするが、それは義兄も、僕もシャイな性格だからだろう。
2000年8月26日
今日は東京の隅田川花火大会だ。例年は7月の最終土曜に行っていたが、今年は沖縄サミットに警備の機動隊を派遣したため、今年に限って8月の最終土曜と言う事らしい。今年でたしか、23回目のはずだが、仕事で1回、雨で順延になり、翌日他用で見なかったのが1回、計2回見なかっただけだ。
今年は仕事がピンチで見られないかなと思っていたが、知恵と努力の結果、仕事の方の見通しがついてきたので家族で東京の生家に行く事にした。娘たちに新しい浴衣を用意したので、両親に見せたい気もある。東京の家は花火を打ち上げる所から直線距離で200mあまり、かつては絶好のロケーションだったが、廻りに次々と高いビルが出来て、家の外に出ないと花火見物が出来ない。
もっとも、花火の醍醐味はあの大きな音と、その後に続く「星」と呼ばれる小さな火薬玉がはじけるパラパラという音に有ると思っている私は、もっぱら家の中で野球中継を見ながら音を楽しむ(ついでにお酒も)ようになった。今日の天気はどうなるかな。
2000年9月2日
9月とはいえ暑い日が続く。暑い夜には冷酒が一番、と思う人も多いだろう。それには違いないのだけれど、日本酒は冷やして飲むと口当たりも喉越しも良いのでつい飲み過ぎてしまう。若い頃の僕がまさにそうだった。よく、人肌の燗と言うが実際体温程度の温かさの日本酒が一番うまいそうだ。
燗酒というと「チン!」してしまう我が家では、なかなか難しい。夏と冬では当然加熱時間を加減しなくてはならないと思うのだが、家人はかまわず酒燗ボタンを押す。当然、冬はぬるく、夏はちょうしを持てないほど熱くなる。それに文句を言うと「主婦は忙しいの!」の一言で片付けられてしまう。
見るに見かねて娘が時間を調節して「チン!」とやれば、好みの燗になるのが常である。(親バカのせいも有るが)今度良い酒を手に入れて本当の人肌に自分で燗してみようと思う。
2000年9月8日
やっと秋らしい気候になったと思ったら連日の雨でかえって蒸し暑い日が続く。今日も朝から曇り空だったが、時々雨が降ると思えば薄日がさす。今日は定年退職をした昔の上司の送別会だ。なかなか良い人では有ったが酒が入ると人が変わってしまう。元来気が弱いのだろうか、普段の紳士ぶりが嘘のようである。
私としてはあまり気の進まない飲み会だが、かつて仕事の上では大変にお世話になった訳で、黙って知らぬ顔も出来ない。感謝の気持ちを表したら、なるべく遠くにいる事にしよう。多分、私よりいろいろ言いたい人たちがいると思うし、退職後の話しなどを私に話すのも抵抗が有るだろうと思う。
いつ頃からか私は職場の飲み会をなるべく避けるようになった。一つには必ず酔いつぶれる人間がいて、たまらなく恥ずかしい思いをするからで、どうしてそんなになるまで飲むのかなと思わずに要られないからだ。だから、私の友人は底無しの飲兵衛か、酒を飲めないかどちらかの人間に限られる。どうも、その辺でも私は自分で世間を狭くしているなあと思わざるを得ない。
2000年9月30日
21世紀まであと100日を切って、あちこちでカウントダウンイベントの話を聞く。我が家も早々にシャンペンを、しかもミレニアムラベルの売れ残りを某酒店で発見し、買い占めてある。とりあえずはクリスマスに1本飲むことになる(私はキリスト教徒ではないのだが)、そして最後の1本は、12月31日から2001年1月1日に日付が変わる時に飲む予定だ。
話は変わるが、この頃私が作成した新しいカクテルのレシピのことを話そう。たまにギムレットを飲みたくなるので、家にはジンとライムジュースを常備してあるのだが、100%ライムジュースが最近手に入らない。先日、たまたまクローゼットを整理していたら、山梨の100%ぶどう液というのを見つけた。ご存知の方が多いだろうがぶどうの100%ジュースである。したがって非常に甘く、だれも飲まないまま置いてあったのだろう。
この、非常に甘いところに目をつけ、ジンと割って見ようと思ったのだ。氷を一杯にしたタンブラーにぶどう液を3分の1、そこにジンを静かに注ぐとキレイにぶどう色と透明なジンの層が出来る。しばらく色を楽しんだらマドラーで軽くステアして飲むのだが、これが以外にうまい。氷をたっぷりと、ジンをゆっくり注ぐのがポイントである。くれぐれも女性に薦めて酔いつぶそうなんて考えないように。
2000年10月7日
肉離れにはビールがいけないそうだ。酒は百薬の長とは言え、場合によっては毒になるようです。人間がいつから2本足で立ち上がったのかは知らないが、足を使えない私は確実に文明に取り残されて行くようだ。と、軽く考えてしまったが、世の中には私のように1時的な状態でなく足が不自由な人がいると思い、自分の能天気さが嫌になってしまった。時がくれば治る私と違い、一生を不自由な足で過ごす人たちの事を思うと、ちょっと自分が嫌いになった。
それでも、ウィスキーを飲んでしまう私はどうしようもない人間である。仕事を休み、地震の被害を見るにつけ、気持ちが落ちこんで行く。酒の助けを借りて気分を高揚させる事は、やはり間違えなのだろうな。
2000年10月21日
久しぶりに仕事関係の人たちと酒を飲んだ。そして、久しぶりに楽しい時間を過ごした。メンバーの人柄が一緒に酒を飲んで楽しい人たちであろうという確信があったからだ。
昨夜は仕事の話が中心では有ったが、前向きな話ばかりで、この人たちとならこの先良い仕事をやっていけそうな自信がわいて来て、思わず幹事としての仕事がおろそかになり、話に耽ってしまう夜であった。勘定の方はそれでもしっかりと予算内で納めてしまうところが自分ながら恐ろしい。3時間半の長丁場であったが終始穏やかな会話をすることが出来た。隣りのオバさんたちの高笑いが無ければラストオーダーまで居たかもしれない。何度も言うけれど、酒を飲むときは相手を選びたい。
2000年11月3日
昨日は出張であった。予定では明るいうちに帰れるはずが、20時を過ぎてしまった。遅くなるのはたいして苦にならない(程度問題だが)けれど、この時間だと必ず泥酔状態の人間がいるのが困ります。電車に揺られて酔いが廻るのか、意味不明な事を近くの席でブツブツいわれるのはあまり気持ちの良いものではない。
幸い昨日は、そういう人間に出会わなかったが、横浜からの電車で大声で騒いでいる一団と同じ車両になってしまった。今は大学の文化祭のシーズンで、うち上げだか、前祝いだかで飲んで来たようだった。
大学というと、コンパばかりやっていたような想い出が有る僕なので、あまり偉そうな事を言えないし、彼らに悪気はないのは解かるのだけれどまあ、誉めようとも思えない。君子危うきに近寄らず(君子と言うほどの人間では無いが)、を決め込んでいる。気持ち的には、若い頃に馬鹿をやってきた事の償いをしているのかもしれない。
2000年11月9日
昨夜は長女が家に連絡も無しに帰宅が遅くなった。遅くなるときは必ず電話を入れるのが、9時近くになっても連絡は無いし携帯電話は電源が入っていないようだ。妻が初めての事態にひどく動揺している中、私は風邪で腰痛がひどいのにウィスキーを飲んでしまった。他に何も出来ない事にどうしようもない無力感を抱いたのであった。
長女の友達に連絡をとってみると彼女は「友人達に電話をして、本人から電話させます。」とキッパリ言ってくれた。結局、学校の同級生が交通事故を起こしてしまったのを慰めていたので連絡が出来なかったと言う事でじきに帰宅したのだが、携帯電話の電源を入れたとたんに友人達から電話が入ったとの事。長女は良い友達を持っている。父は風邪をこじらせ今朝から臥せっている。
2000年12月9日
いよいよ年末、酔っ払いが一番多い季節だ。忘年会を楽しくやるのは良いものだと思う。特に今年は少し大袈裟だが、20世紀最後の忘年会となる。いろいろと感慨深い時を迎える方も多いだろう。でも、くれぐれも飲み過ぎにはご注意。せっかくの21世紀最後の年末だ、家族や仲間に迷惑をかけない様に、くれぐれも羽目だけは外さないで下さいね。って自分に言っている今日この頃である。
2001年1月6日
先祖代々、我が家は正月に、朝湯、朝酒が恒例であった。今年もそうしようかと思っていたが、父は手術後まだ半月、しかも心臓も故障中である。さすがのどら息子も自粛せざるを得ないところだ。ところが、父が良いから飲め、と何時に無く強行であった。お言葉に甘える事にして、これも恒例の金箔入りの酒が屠蘇代わりの元旦の朝となった。多少フライング気味だが我が娘も今年二十歳になるので飲ませて見た。(いつも飲ませているな)
今年も(は?)良い年でありますように。
2001年6月23日
いつの間にか半年近くが経ってしまった。病気のため飲めなくなったせいも有るけれど。
21日は長女の二十歳の誕生日でした。いろいろな方達からお祝いをいただきました。これからますます自立して行かなくてはならない娘が頼もしいような、不憫なような父親としては複雑です。ただ1つ、美味しいお酒が久しぶりに飲めたこと、これは娘に感謝しなければなりません。
ところで、今日は妻の誕生日。(あまり宣伝するなと言われているが)祝いをどうしようかなと前から思っていたら、クラス会のため実家に行くと言う。仕方が無いので今日は娘2人と良い酒でも飲むか。
2001年8月2日
このところの忙しさと暑さで、久しぶりに野球を見ている途中で寝込んでしまった。昨夜は少し飲み過ぎたようだ。起きたら夜中の2時30分。野球は勝ったのかなと思ってパソコンを立ち上げる。
ついでに風呂に入ってシャンプーをして、髭をそってこのまま朝までPCで遊ぶ気になってしまった。さすがにのどが渇いたけれどお茶にした。
音を聞きつけて猫が下りてくる。さすがにお腹が減ったわけではないらしい。外でセミでも捕まえようというのか、まだ暗いので窓を開けたが網戸は閉めておこう。冷気が気持ち良い。
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