趣味C
NPVRとはNEW POOR VALLEY RAMBLERSの頭文字です。
NPVRの歴史
ア、ロングタイム、アゴー、アメリカ合衆国、オハイオ川の上流にPOOR VALLEYと呼ばれる山里があったとさ。名前の通り貧しい村で村人の楽しみと言えば年に一度の収穫祭。その中でも一番の楽しみは「POOR VALLY RAMBLERS」と呼ばれるブルーグラスバンド。彼らの演奏を聞けば一年の苦労も忘れるほどでした。
でも、彼らも人の子。いつか演奏出来なくなる時がやってくる、それまでになんとか新しいバンドを見つけたいものだ、と日々思い暮らしていたそうな。
ある時、日本から若者達が、「POOR VALLEY RAMBLERS」の名声をしたってやってきた。「どうぞ弟子にして下さい。」馬鹿者は、いや若者は熱心に頼み、とうとう弟子にしてもらいました。以来、苦節三百年、ついに若者達は師匠を超えるときがやって来ました。
こうして、若者達は「NEW POOR VALLEY RAMBLERS」と名づけられ。村祭りに活躍する予定だったが、なぜか日本に帰って来たそうな。そして、誰が聞いても、村を出た理由は白状しなかったそうな。
N.P.V.R.伝説より
N.P.V.R.の日本でのデヴューは1973年3月10日。場所は江戸川公民館(し、しぶい!)。定員5百人の会場は立錐の余地が・・・・大分あった。
How Mountain Girls Can Love のイントロと共に緞帳が上がって行く。メンバーのUncle Harlly,Handsome Morry Josh,Long Tall Tom,Sleepy Eyed Jhonの4人がフットライトに浮かび上がる。こうして新しい伝説が始まりを告げた。(良く言うよ)
それからのN.P.V.R.は水を得た魚のように活動を始めた。1年も経たないうち、Bluegrass界にN.P.V.R.有りと、一部の知っている人たちの間では有名だった。(当たり前だ)
そして、1980年3月23日に上野タカラホテルでの招待客の迷惑を考えない、延々1時間におよぶディナーショー(実はHarllyの結婚披露宴)を終え、普通のオジサンに返りたい宣言と共に活動を休止した。
それ依頼、友人の結婚披露宴では「1曲だけ」の約束で活動は続いていると言えばいえない事はない状況が続いている。
急にマジな話になりますが、もし僕にN.P.V.R.がなかったら、学生時代は酒とばくちと女に溺れていただろう。(BGM:悲しき町角 by Del Shanon)1時期、退学まで考えたほどだ(大学側が)。お金も、お酒も、女も、無くて平気な僕だが、N.P.V.R.は欠かせなかった。
特に、社会人になってから、辛い事も有ったが荒川に懸かる小松川橋の下で練習をしていた頃の、暑さ、寒さ、ほとばしる汗、かじかむ指、嗄れていく喉のことを思い出してみれば、大概の事は乗り越えていけた。
そういう意味でも、N.P.V.R.のメンバーは、僕にとって今でも特別な存在と言える。高校の同窓会の名が「淡交会」というくらい、普段は顔を合わせる機会も無いが、あの頃から僕の歌がどのくらい枯れた味になったか、メンバーに聞いてもらいたい気もしている。
僕がブルーグラスを気に入ったのはのは、歌詞が良いと思ったからだ。中学の時にP.P.M.の「悲しみのジェットプレーン」とS&Gの「サウンドオブサイレンス」の歌詞にしびれていた僕は、日本のカレッジフォークが嫌いだった。やがて、「悲しみのジェットプレーン」がジョン・デンバーの作品だと知った僕は、彼の曲を聞くようになる。
ジョン・デンバーの傑作の一つに「緑の髪のアニー」がある。彼の奥さんを唄った歌だ。大らかな愛情表現は、僕が当時のめり込んでいた、湿った恋愛から引っ張り出してくれた。彼のクリスマスアルバムにブルーグラスソングがあった。その頃はもう、N.P.V.Rで活動していた僕だが、その曲を毎日聞いて、いや歌っていたように思う。いかにもアメリカだなあと思った。
ジョン・デンバーは日本人や、ネイティーブアメリカンの子供を養子にして育てていたが、やがて妻のアニーと離婚し、10年ほど前、飛行機を飲酒運転して墜落死してしまった。彼は僕に家族の大切さを、肯定的にも、否定的にも教えてくれた。僕は、大らかなブルーグラスソングのように、家族を愛していこうと思う。
ブルーグラスが日本では以外とメジャーなんだと思った事があります。6、7年前の新聞の訃報欄にビル・モンローの訃報が載っていました。ブルーグラスの父と名実ともに呼ばれた大物の死は、新聞記者がブルーグラスファンではなかったとしてもニュースバリューが有ったのでしょう。
その記事が載った日の夜は、何年ぶりかの電話でN.P.V.R.のメンバーの声を聞きました。みんなそれなりに感慨深いものが有った夜でした。最近、アメリカのウェブサイトの中でブルーグラスの殿堂という公式サイトに出会いました。ビル・モンローのページはやはり1番スペースがあったようです。
但し、言うまでも無く全部英語のサイトだったから深く追求しないで欲しい。
Josh氏へ モンローブラザーズの聖者の行進から、また始めたいですね。
戻る
2000.11.4更新