前略、地球温暖化のせいか、たまたま今年の陽気がよかったのか、横浜ではすでに桜が終わってしまいました。東北でも3月に桜が咲くのは観測史上初だとかで、マスコミは話題が出来てうれしいことでしょう。

 僕の方は、桜が散ろうが南極の氷が溶けようが、寒いより暖かい方が朝、布団から出易いだけうれしいというものです。本心はずーっと布団の中に居たいのですけど、食っていくためにはまだまだ労働しなければなりません。あと5分という気持ちにむち打って、のこのこ起き出すことになります。

 あまりハードボイルド小説の主人公が見せない格好でパジャマを着替え、ネクタイなどを締めていると、鏡に映った自分の間が抜けた顔に責任を取りたく無くなります。(自分の顔に責任を取れって言ったのは誰だっけ)

 朝、起きるのが辛いのも、前夜に本を読まないと眠れないという悲しい習性のためで、最低90分は読まないと睡魔が訪れてくれません。相当に退屈な本でも、その退屈さが笑えて、かえって目が冴えてしまうという厄介な性癖のせいもあります。

 この頃は、年甲斐も無くハードボイルド小説にはまり、大沢在昌の「佐久間公」シリーズを読み返したりしています。もう15年も前の新宿や六本木周辺が舞台なので、今一つ地理が飲み込めず、読んでいて戸惑いをおぼえます。

だれか、浅草あたりを舞台にしたハードボイルドを書いてくれないだろうか。

いわゆる推理小説も、読み続ければ飽きてきて、たまには恋愛小説でもと思いますが、恋愛にも食傷している僕は手に取る気にもなれません。推理は読むもの、恋愛はするもの、ですね……(少し寂しい)。

思いきって歴史小説や時代小説などにも挑戦してみますが、このジャンルは登場人物の名前を覚えるのが困難です。同様に翻訳ものも敬遠しています。若い頃は明らかに翻訳の間違えであろうところの部分を出版社に教えてあげたりしたものでしたが、せいぜいボールペン1本の謝礼では、はがき代にもなりません。

この頃はやりのホラー小説も読んでは見ましたが、結末が明るく終わってしまったりして、ガッカリするものが多すぎるような気がします。といって、暗く救いようの無い結末のホラー小説は、はっきり言って嫌いです。(結局、嫌いなんですが)

というようなわけで、この頃は、エッセイとか、ルポルタージュ、などの人文系か、科学など理系、さらには宗教、伝記など哲学系の読み物を読むことが多いです。

それから、いしいひさいちという漫画家の4コマ(時には5コマ、なんてのもある)漫画には命を懸けていると言っても言い過ぎではないくらい打ちこんでいます。(少し言い過ぎだよなぁ)

そんなわけで、僕のベッドのサイドテーブルには常時本が積んでありまして、地震の際に頭を打つこと幾たびか、いまだに懲りません。それはきっと、僕が、豆腐の角に頭をぶつけて死ぬより、哲学書の角に頭をぶつけて死ぬ方がまだましかと思っているせいでしょう。まあ、そんなことばかり考えているのですから、僕は意外に長生きしそうですね。

         2002年3月30日 アンクル・ハーリー亭主人

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2002.3.30掲載