前略、忘れる事は人間が生きて行く上で大切な自己防衛手段であるのかもしれませんね。過去の失敗をいつまでも引きずって生きていく事は精神的にマイナスでしかない事は自分でも良く分かっているつもりです。だからと言って、過去の失敗を全て記憶から消し去ってしまう事も正しい生き方とも思えませんし、誰にも出来はしないでしょう。

 誰でも忘れたいことの二つや三つは持っているでしょうし、それをあえて忘れたふりをして生きて行くのかも知れません。ただし、忘れていけないことがあることも有ります。忘れてしまいたいことでも決して忘れてはいけないことが、これもまたあるのではないでしょうか。

 ここに忘れてしまいたい事をあえて書き残す事で、僕がこれまでの人生を自分の中でどう評価しているのか解かるかもしれない。また、まだ記憶が鮮明なうちに記録する事で、迷惑をかけた人たちへの気持ちを忘れないようにする事が僕の出来るささやかな贖罪としたいと思い、ここに書き記すことにしました(決して許されるとは思わないが)。

 人に言われるまで気が付かない失敗は、自分で自覚しているそれの10倍くらいあると思います、一言で言ってしまうと、思いやりの無さです。若かったと言ってしまえばそれまでですが、学校に通っていた頃の僕はまったく鼻持ちならない生意気なエゴイストでした。僕の心無い言葉に傷ついたクラスメートは数知れないでしょう。みんなが僕のことなど忘れてしまっていることを祈るのみです。

 学生時代だけではなく、社会に出てからの僕も、いったいどのくらい変わることができているでしょうか。少しも変わっていないことは僕が一番知っているのかも知れませんが・・・・・。妻や子供たちは僕の言葉に幾度傷ついたことでしょう。人の心の痛みに気が付くことも出来ず、いやあえて知らないふりをしてまで家族に物心両面でつらいおもいを長い間させてしまった、このことは決して忘れてはいけないと思っています。これからの残りの人生で、どれだけその償いができるのか見通しがなかなか立たない現状ですが、この文章が無駄にならない程度に生きて行く事は僕に課せられた宿題としたいと思います。僕もそれほど救いようの無い非常識人間では無いのだから。

 始めに自分が鼻持ちならない人間だと気づいたのは、ある友人の指摘でした。

 本当になんでもっと早く気が付かなかったのだろう。少なくとも、自分が鼻持ちならないエゴイストだと、もっと穏やかな表現でアドバイスしてくれる友人もいなかったわけでは無かったのです。

 子供は、表に出るか、出ないかの別はあるとしても、全員がエゴイストです。それを自分の中で抑制が利くようになることが、精神的成長であり、大人になるということだろうと思います。僕はそれが出来ずに精神のある部分を子供のまま引きずっているらしい。多くの人は、小学生から中学生の頃に精神的成長を遂げ、一人前の社会性を発揮するようになるようですが、僕はまるでずっと子供であるように小ずるく立ち回っていた。他人を傷付けながら。ピーターパン症候群、というのだそうですが、要するに無責任な信用ならないずるい男です。

 もっと早く改心すれば良かった。もう遅すぎるでしょうか。

         2002年3月2日 アンクル・ハーリー亭主人

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2002.3.2掲載