前略、前に話したかもしれませんが、橋の上に立って流れる水を見ているとなんとなく自分の人生を振り返りたくなります。僕は、東京は隅田川のほとりで生まれ育ったもの(橋の下で生まれ育ったんじゃないけんね)ですから、多いときには1日に5、6回も橋を渡ることがあって、なおさらその思いが強いのかもしれません。
物心ついた頃の隅田川は、悪臭を放つ存在でした。世の中の澱み、穢れを全て引き受けたように黒く汚れ、僕にとっては怖れ忌まわしく感じるものでした。それは、幼い僕にとって怪しげな大人の世界の象徴であったのかもしれません。
小学校の校歌にも隅田川の名前が出てきたのですが、墨田の間違いじゃないかと思っていたくらい黒い川でした。父が若い頃は隅田川で泳いだという話を、どうしても信じられませんでした。ある人の説では、戦争で工場が全てストップしたため、汚れた水を出さなくなったので、戦後の一時期は隅田川がきれいだったとのことですが、父が泳いだのは、その頃のことかもしれません。
東京オリンピックなど、国際的なイベントが開催されるようになった頃から、隅田川をきれいにしようという活動が細々とスタートしていたそうです。荒川からの取水、頻繁な浚渫など、多くの費用を投じたおかげか、隅田川は年々その水の透明度が上がってきました。そのうちに、僕も橋を渡る折に、欄干から水の流れを眺めて、来し方行く末などを(生意気に)考えるようになって行ったのでした。
その頃の隅田川は、「花」という歌の歌詞に有るとおり「行き交う船のいと繁き」状態で、いわゆる「ダルマ船」(自分ではエンジンを積んでいないので動けない船)を何隻も曳いて行くタグボートや、今はタンクローリー車に取って代わられてしまったタンカー船などが途切れることなく往来していました。例の水上バスなどはまだほんの脇役で、50人も乗れば一杯の小さな船で営業していたものです。
川が重要な輸送路だった時代です。しかしやがて、川がきれいになっていくのとは反比例して行き交う船の方は減っていきました。そんな頃の川の様子を見てきたわけで、なんとなく川があって、橋を渡るときにはつい、川の流れに一時思いを巡らせてしまうのでしょうか。もっとも、ベイブリッジやレインボーブリッジのような橋の場合はそんな気持ちにはなりませんね。あんなもんは橋じゃない、高架道路の延長にすぎません。
水面から、その川特有の雰囲気が感じられなければ橋ではないと思います。隅田川のそれは(以前の悪臭は別として)かすかな潮の香りを含んでいます。東京湾が満潮のとき、川の流れが下流から上流に波立つのが見えます。とうとうと流れるイメージではないのですね。そんな隅田川が好きです。僕がへそ曲がりのせいでしょうか。水は低きに流れる、というのが嫌いなのですね、きっと。
本音を言えば水面を行き交う船のような活躍をするのが子供のときからの夢でしたが、せめて満潮時に水面に出来るうたかたのように、やがて消える運命を自覚しながら、流れに浮かんでみたいものですね。
方丈記ではうたかたはよどみに浮かんでいたようですが、どうせ浮かぶなら激しく流れに逆らってみたいじゃないですか。
2002年2月16日 アンクル・ハーリー亭主人