前略、2月の冷たい風が吹く屋外とは違い、陽の当たるサンルームはおおむね快適で、僕は朝食後の時間を読書で過ごそうとサンルームにキャンバスベッドを持ち出して横になった。そこはよく手入れされた庭から1mほどの高さで、キャンバスベッドを置いてもなお充分な広さがある。庭も、道路際に植えた沈丁花の生け垣の陰が芝生に黒く落ちている以外は冬の低い日の光を受けて枯れ芝の香りを立ちあげていた。よく見ると沈丁花にはもう、小さな花が顔を出している。
庭の南の境界は幅が4mほどの舗装道路だが、市街地の主要道路からは200mほど奥には入っているため、ほとんど通るものもいない。西側は隣家との境界だが特に柵が有るわけでもなく、建物同士は10m以上離れて建っているうえに、隣人は留守らしく、ひっそりとしていた。
僕は穏やかな日が当たる、サンルームを好んで読書場所にしている。この季節、寝室のベッドのぬくもりも捨てがたいところだが、やはり明るい場所で読書をする方が気持ちも良い。悩みといえば眠くなることだが、それも初めの50ページほど読み進み、物語に没入すれば眠気も消える。もちろん、面白い本ならば、ではあるが。
それに今日は、お気に入りとも言える本なので、結構気合が入る状況なのです。今日の作品はどうかな、と思いながら読書の態勢作りをします。夏だとビール…ということになるのですが今日はお茶にしました。それからメモ用紙とシャープペン、これは要点をメモるためですね。推理小説の場合は登場人物を箇条書きにしたりもします。人間関係を線で結んだり、系図を書いたりもします。これで、僕も案外しつこい性格なんですね。
ここまでやって、犯人が解らなかったりもするのですが……。もっとも、最後に出てきた登場人物が犯人でした、チャンチャン、なんていうのもこの頃多いのでいやになります。いや、この頃はそういうのは読まなくなりました。全体的に推理小説を読む量が減っています。推理小説だけでなく、エンターテインメント小説をあまり読まなくなりました。
話は突然変わりますが、このところドキュメンタリー物や、社会レポート的エッセイみたいな本を手に取る事が多いですね。僕も老後のことなんかを考えると、今の社会で大丈夫か、何かヘンなところがあるという本が多いが、どうヘンなのか、いろいろと調べるとなんだかあれもこれも調べなくちゃ、という状況になってきてとにかくいろんな人の本を読んで見なければ、と思う訳です。
でも、ドキュメンタリー物は必ず書いた人の主観が反映されているじゃないですか、だから100%言っていることが正しいか、どうも疑わしいところがあるんですね。僕の性格が悪いのかもしれませんが…。だから、他のもので調べてみる、他の人の本を読んでみる。そうすると同じ出来事のはずが、全然違った解釈になっていたりします。
自由な言論といえばそれまでですけれど、じゃぁ僕はどう考えたらいいのだろうか、とまたほかの本も読んで見るという、人が見るとはなはだ主体性の無い状況になってきます。今は一冊の本を丸ごと信用するからいけないんだ、と考えるようになってきました。
事件や社会の営みを、一人の人間が全て見とおすことなど出来はしませんからね。
読書だけでなく、いろいろ勉強して、なるべく軸のぶれが無い意見を持ち、生きていきたいと思います。
2002年2月9日 アンクル・ハーリー亭主人