前略、新しい年がやってきて、この不景気な世の中も少しは明るく感じられます。あと何日続くのかはわかりませんが…。いずれにしろこの経済状況はまだしばらく続くとは思いますが、朝のこない夜は無い、けれどそのうち夜が来る(何じゃそりゃ)といわれている通り、世の中何が起きるかわかりません。気を確かに持って前向きに行きましょう。
ここでひとつ問題は、どこが前なのかわかりないということです。犬が西向きゃ尾は東というように、明確な方向性が有る場合は良いですが、一般的に人間は自分の顔が向いている方が前と考え勝ちです。(中には裏表の無い人といって、前後がわからない人もいるが)それはそれで正しいのかもしれませんが、たまたま顔が上を向いていた場合などはなかなか進むのに苦労するでしょう。
からだの前面が向いたほうを前と定義しても良いのですが、この場合でもうつぶせで寝ているときは前に進むのはほとんど不可能です。
と、いろいろくだらないことを言って字数を稼ぎましたが、「前」とはすなわち己の心が欲する方向、と言えばほぼ正鵠を得ていると思います。しかし、「心が欲する」からといってスカートの中を撮影したり、覚せい剤をやったりしてはいけません。「欲する」にも自ずから限度があるのです。犯罪行為はもとより、人道的に許されない行為や、地球環境に負荷が高い行為、僕から集金する行為なども止めていただきたいところです。
英語のことわざで「 Don't expect life to be fair.」というのがありますが、所詮世の中は不公平なもので、「アルカイダ」の方々もそれを知っていたらあのようなテロを起さず、もっと地道に前向きに生きていたかもしれません。まあ、アメリカのでかい態度に怒りをおぼえる気持ちを解らないでは有りませんが、それにしても「アルカイダ」自体が自滅してしまったようですから、お天道様が許しても、ブッシュが許さなかったというわけでしょうか。
話が逸れました。
ところで、前向きに生きる、と一言で言ってもなかなか出来ることでは有りません。僕などはどちらかと言わなくても横道に逸れてばかりで、目の前のハードルからつい目を逸らし勝ちです。これまでも、いろいろな困難な局面で家族や友人、仕事の同僚などの力を借りてやっと今の僕が有るというのが正直な気持ちです。
今までも気が向いたときは、前向きに生きようと決意するのですが、長続きしません。恥多き半生では有りました。それでも、年を重ねたせいもあるのか、やるときはやるという姿勢が自覚されるようになってきました。この不公平な世の中では有るけれど、それでも良い、上等じゃねえかやってやろう…というかなりトイレの火事(ヤケクソ)的な心理も有りますが、一方的に引っ込んでいても駄目ならここは勝負を賭けようかと思うのであります。
こういうのを前向きと言うのかどうかは多少疑問ではありますが、とにかく残された132年の人生(オイオイ)を送るにあたっての決意表明といたします。草々
2002年1月12日 アンクル・ハーリー亭主人
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