前略、僕の高校時代は、アルバイトは原則禁止でした。けれども家庭の事情で小遣いをもらえなかった僕には、アルバイトでもしないと映画も見られないどころか、友人の家に行く切符代にも事欠く有り様でした。先述したように学校はアルバイト、原則禁止でしたが。原則禁止と言う事は例外が有る、という事で学業に差し障りが無い範囲での新聞配達など、不特定多数を相手にしないアルバイトならまあいいかという事でも有りました。
そして、まさに知り合いの小学生の勉強を見てくれないか、というオファーが高校入学早々にあったのです。そして、私は自分の小遣いを自分で稼ぐ事にしました。相手は小学生、別にどこか有名私立を目指している訳でなく、とにかく宿題くらいは出来るように教えてくれという、天使がハンマーで喉自慢の合格メロディーを叩いてくれたような話です。あとで、親の差し金と解かったのですが。
日当は当時の金額で1日分5千円もらいましたが、自分の高校の勉強も普通の高校より勉強のペースが遥かに速く、多くの勉強をしていた身には、週4時間でも貴重ではありました。なにしろ、2年間で高校3年間の授業をやり、その上、数学、英語などは副教材が3、4冊常に有ったのですから。ですから、家庭教師をした日の夜は遅くまでかかって予習をしたものです。(今の自分にその頃の真面目な僕の爪のあかでも飲ませたいですな)
ですから高校を卒業するより、大学に入る方が楽だったような気が、今でもしています。高校の勉強というよりも、完全に予備校化していたのですね。(僕は予備校には行っていませんので、実態は知りませんけどね)
そんな忙しい日々を送っていても、スポーツに打ち込むもの、早くも恋愛中の者、学生運動に身を投じる者、バンドを組む者(僕たちの事です)と、いろいろな事をやっていたのは、ストレスの解消や体力維持に欠かす事が出来ない事だったからのような気がします。僕などはバンドのほかに(放課後のお遊びですが)バレーボールやバスケットボールまでやっていたし。
大学生になった時も、小遣いの事情は似たようなもので、アルバイトをよくしました。育英会の奨学金をもらう資格もありましたが、返す事を考えれば初めから借りなければ良いと、私はそう考えるタイプでした。その金額は月に3000円、授業料が月に1000円だった時代でした。ちなみに私より1年後に入学した学生は授業料が3000円/月に値上げになりましたので、本当に滑り込みセーフの大学受験でした。
授業料が3倍になった、すごい値上げだ、と思ったのか、わずか2000円の値上げだと思ったのかは、よく覚えていなません。多分、すごく値上げになる前に大学生になろうと思っていたように考えられるふしがあるので、すごい値上げだと思っていたのだと思います。この年からは奨学金も3倍もらえたはずです。(高校の同級生が1浪して入って来たので、聞いた憶えがあります)
まあ、僕の高校、大学時代はそういう時代なのでした。今思うのは、もう少し自分で主体的に勉強をしておけば良かったなぁ、ということです。あまりにも無目的に勉強していたので、ほとんど勉強をしていないのと変わりがありません。
その分、社会に出てからいろいろと勉強させられましたが、結果オーライに近いかなと、なんとなく思います。ああ、小市民ではあるな。
2001年11月17日 アンクル・ハーリー亭主人