前略、私とポピュラーミュージックとの初めての出会いは、1962、3年の時だと思います。曲はコニー・フランシスの「可愛いベイビー」。これだけは鮮明に記憶している。小学校の同級生のK君の家の応接間で彼の3歳上の兄貴がドーナツ盤(古いね〜)で聞かせてくれ、
「この歌手、伊東ミエだよね。」
と言って大笑いされた思い出があるからです。もちろん、伊東ゆかりと中尾ミエが混じったのだけれど、日本テレビの「シャボン玉ホリデー」やフジテレビの「ザ・ヒットパレード」で聴く歌は日本人が作ったものだと何となく思っていました。
それまで歌というと島倉千代子や和田弘とマヒナスターズとか小鳩くるみなんかを聞いていて外国の歌のレコードが有るのも知らなかったからで、その後ポピュラーソングもよく聞くようになって、ポール・アンカやニール・セダカ、デル・シャノンなんかの歌は、原語と日本語の両方の歌詞を覚える様になったものです。原語と言ったってその頃は英語を勉強する前だったから耳で聴いた通り歌っていました。つまり、アイムソーヤンアンユーソーオー(ダイアナの歌い出しです。)なんてね。もちろん英語を習ってからは、
と我ながら素晴らしい英語で歌っている、ような気がします。
坂本九の「上を向いて歩こう」の頃から日本でも、欧米の曲に日本語の歌詞を付けて歌うパターンからオリジナルの曲をみんなが歌い始めた様に思います。でも、その曲はポップスとはおせじにも言えない物ばかりでした。ポップスじゃなきゃだめとは言わないけれど、その頃の僕には、聴いていてちっとも響いて来るものが無いものだったんです。
今もポップス大好き人間であることに変わりは無いけれど、少しノスタルジックになってきて(いわゆる「最近の若いもんは」病でしょうか)その昔、NHKの「夢で会いましょう」で聞いた「今月の歌」にこのところはまっています。永六輔作詞、中村八大作曲で、毎月1曲、色々な歌い手が唄った曲をこのところ良く思い出しては唄っています。中でも、益田喜頓の「娘よ」、その翌月に唄われた九重祐三子の「ウエディングドレス」そしてデュークエイセスの「幼なじみ」、この3曲はこのあいだ寝る前に、昔採ったテープを聞いていて思わず涙が湧いてきて、みっともないけどそのまま泣き寝入りをしてしまったほどです。
最近はカラオケに行くとそんな頃の歌ばかり探しています。同好の士が多いのか、ポール・アンカやニール・セダカはもちろん、僕の一番好きなデル・シャノンとかなどのアメリカンポップスにリバプールサウンドと唄う歌に不足はありません。
少し以前は、バラードや朗々と歌い上げるような歌(マイウエイのような)が好みでしたが、この頃は少しアップビートな曲(とはいえ8ビートがせいぜい)に好みが変わってきたようです。ブルーグラスの名残が今になって出てきたんでしょうかね。
それと、なんて言ったらいいのか、いかにもポップスという曲風のもの(「悲しき雨音」や「ウォークライトイン」など)も捨てがたい様に思えます。
残念な事に、僕はビートルズの歌にキーが合わない事が多く、これだけは残念です。最近はディジタル処理でテンポは変えずにキーだけ変えられる仕掛けもありますが、なんだか面倒でそこまでやるより好きな歌を唄うか、と言う事になってしまいます。
いずれ、またポップスバンドの仲間にどのくらいキーを変えたら良いのか調べてもらおうと思います。(やっぱり唄いたい事は唄いたいんです)
2001年9月24日 アンクル・ハーリー亭主人