前略、毎年200冊を目標に読書をしてきましたが、そろそろ限界のようです。一昨年186、昨年182冊と2年にわたり目標値を1割近く下回りました。現在、僕の書棚には未読の本が20冊以上有り、それらを読んでいたら200冊を越えていたかもしれません、でもいろいろな事情で読めないまま年を越してしまいました。
一つには、自律神経系が不調な時期が続いていた事がありますが、年末に一昨年は2yk問題のため、年末の追いこみが出来なかった事、昨年は人間ドックでアラームが出て、生活習慣を多少修正して、休養に努めた為でしょうか。集中できない理由は他にもいろいろ有りますがいずれにしろ読書傾向も小説ばかりではなく、ルポルタージュや、紀行ものなどを手にしている時間が増えました。
僕の悪い癖で、気に入った作家の本は全部買い集めてしまうのですが、読む段階にまで行かない事が最近多いようです。いざ読もうかと思っても、図書館で借りてきた旅行記や歴史ものの方を優先してしまい、買った本は後回しにことが多いからかもしれません。
近頃は寝る前に本を読む習慣も、疲労がたまっているせいか、寝付きが良くなり過ぎて捗りませんし、勤務先での昼休みは天井灯を消されてしまうので本を読むどころでは有りません、もっぱら休養に努めています。
また、休日に1冊づつ本を読む習慣が有ったのですが、家庭サービス(実は僕がサービスされているようです)に時間を割くようにしているので、なかなか丸ごと1冊は読み切れなくなりました。友人Sともごくたまにですが、会って色々と陰謀(誰を飲みに誘おうかなど)をめぐらしたりと、友人もかつての読書人の面影も有りません。
学生時代には主に「筒井康隆研究会」に参加していましたが、「サリンジャー研究会」「高橋和巳研究会」「三島由紀夫研究会」「新田次郎研究会」などにも参加していました。(メンバーは大概2,3人です)
ミステリに傾倒したのは結婚してからです。と言っても、女から妻になり、母になる女性にミステリを感じたからではありません。やはり僕の知性を激しく揺さぶるものが有ったからでしょうか。ミステリ=犯罪=危ない、という図式だった僕の思い込みが、いろいろな個性豊かな名探偵たちに出会って壊れた事が大きいと思います。
社会派ミステリなんていって、刑事が足をすり減らし(靴をすり減らしか)て捜査する話しはあまり好きでないのは、そんなことは実生活だけでたくさんだと思うからでしょうか。といって、僕が犯罪者だということでは有りません。
この頃は、ミステリも多様化して、新本格とか、ホラーとか、新感覚とか、新撰組(ないか)などいろいろありますが、様は僕が読んで楽しい本が一番だと当たり前に思うようになりました。どの本が1番だなんて毎年年末にいろいろな出版社がやっていますが、所詮は売らんがためのお祭りのような気がします。
と言いながら、毎年のベストセラーを必ず読んでいる僕も、出版社の陰謀に乗せられているのかな。あっ、よく考えたら僕はほとんど図書館で借りて読んでいるから大きな事は言えないのでした。えへへへへ。
2001年9月15日 アンクル・ハーリー亭主人
PS.今回の米国テロ事件に付いて拙文をUPしたいと思いましたが、難しい事情や謎が多い様で、書けませんでした。ある程度のデータなどを見てから僕の考えを掲載したいと思います。亡くなった方々、ご家族の皆様、ご愁傷様です。