前略、この頃よく聞く話題で「なぜ人を殺してはいけないのか」とかなんとかの質問に答えられないで困った、などという話がありますね。現実に殺人犯のうち数%は死刑という国家による殺人で殺されているわけですから、殺していい人もいることを国が認めているわけです。

 殺していい、ということになると敵討ちが必ず復活するでしょうね。僕も、先日浅草で殺人事件がありましたが、僕があの娘さんの親なら犯人を殺すでしょう、恐らくね。殺して良いとなったら、殺したからって娘は生き返らないという説得もあるけれど、殺した方が自分に正直ですよ。どうせ娘は返らないのなら犯人を殺すのが次善の選択ですね。これが僕の哲学です。

 あの犯人が捕まった時、被害者の父親は犯人が憎いですか、と聞かれて、娘を失った悲しみが大きすぎて憎いということなど考えられない、とおしゃっていました。僕は恥ずかしさで一杯になりました。現実に父親はなんて悲しいのだろうと思いました。犯人をどうこうしようなんて考えられないほどの悲しみって、現実にはそうなのかもしれないですね。悲しいです。

 まあ、この手の話は正解が有ってないようなもので、要は質問者が納得するかしないかだけの問題ですよ。カメレオンじゃないけれど人を見て答えを考えないと。殺されるのを何とも思わない犯人だったら恐らく殺さないかも知れませんね、両眼を潰す、とかもう少し悪どく扱うかも知れません。親とすれば娘を殺された時点で狂気の世界に入っているから、何をするか解かりませんよ。「なぜ人を殺してはいけないのか」の答えは解かりませんでしたね。

 話は変わりますが鯨の問題だって、絶滅しそうだから捕鯨禁止と建て前では言いますが、実は詰まらん感傷が芯に有ると思っています。悪いことではありませんが、無自覚なことが困ったもんだと言いたいですね。鯨だって肉食獣なんですがね。鯨を残すと、他の生物が絶滅するだけのような気がしますが。

 生態系を壊すからというもっともらしい理由にしても地球全体の食物連鎖や生態系なんて、人間の手におえるものじゃあ有りません。地球の平均気温が1℃上がっただけで生態系がめちゃめちゃに変わっているのに、鯨の1種や2種が絶滅しても仕方ないですよ。現に捕鯨を許可されている少数民族が暮らしてきた地方の気候が変わり、捕鯨が出来なくなって鯨より牛肉を食べていたりしている現実が有るじゃないですか。誰だって鯨が憎くて捕鯨をしている訳じゃあない、それをしないと自分が食えなくなるからです。

 今反対している欧米人だって、狂牛病で牛が食えなくなったら、やれカンガルーだ、羊だって言っている。そのうち鯨も食わなきゃって言い出すかもしれませんね。とりあえず、自分の世代ではそれをしないで済むだろう、という計算があるから突っ張っているだけですよ。

 それでも少数民族の文化を残すとか言っちゃって無理矢理アラスカのイヌイットなどに捕鯨枠を残している。日本の捕鯨だって文化ですよ、日本のいたるところに近海捕鯨の港があり、遠洋捕鯨と共に学校給食他のメニューに鯨肉が果たしてきた役割は大きいです。たまたま日本人は1億人以上いるから目こぼしが出来ないって事なんでしょうかね。

 日本の文化なんぞは残しておく価値が無い、とお考えかも知れませんわな。日本人は放っておくと何をするか解からんから出来れば抹殺したいけど、第二のユダヤ民族になったりすると厄介だしね。まあ自分で言うのも何だけど、日本人はそこまで根性有るとは思えませんが。

         2001年8月18日 アンクル・ハーリー亭主人

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2001.8.18掲載