前略、カラオケBOXがいつ頃から出来始めたのかはよく知りませんが、人気が出たのは何と言っても通信カラオケが一般的になってからでしょう。それまでは手動、自動の時代が有ったとは言え、カラオケレーザーディスクをセットしなければならなかったから、物理的にリクエスト出来る曲数に限りが有ったようです。通信カラオケが普及した理由は、店側では何の変更も無く、曲目が増えるということにあったのだろう。
ところで、僕が初めてカラオケなるものを体験したのは、今から30年以上前で、おそらくまだカラオケなる言葉が音楽業界の中だけでしか通用していない頃でした。そのカラオケはオープンリールのオーディオテープに録音されていて、本物のレコード製作に使用されたテープをダビングしたものでした。
小学生の時にクラスのクリスマス会でウクレレを弾いたほどの弦楽器少年だった僕は家でギターの弾き真似をしながら歌を唄っていただけに、友人にそのテープを借りた時は胸が高鳴ったものでした。友人の家にはミキシング録音が出来る(4トラック方式)オープンリールテープデッキもあり、マイク入力にはエコーもかけられるというまさにカラオケBOX状態で自分の唄を録音することもできたのでした。
その時のカラオケの曲は「そして今は」(原題: What Now My Love)だったのを今でも覚えています。何故30年も昔の曲名まで覚えているかって?。実はその時に録音したテープを更にカセットテープにダビングしてあるからでした。
僕は他にもその4トラックオープンリールテープデッキを使って、1人ブルーグラスバンド(曲名は聖者の行進)や、1人サイモンとガーファンクル(サウンドオブサイレンス)などを録音しています。そして、その曲を録音したカセットも残っています。唯一残っていないのは、その時にレコーディングディレクターをやってくれたテープデッキの所有者でもあるH君です。彼が20代で病気のため亡くなってもう20年が過ぎました。
もともと、H君とは高校で一緒のクラスになり、よく一緒に遊び廻ったものでした。彼はオーディオには滅法強く、僕たちのバンドがライブをする時には必ずボランティアでミキサーなどを努めてくれたものです。ただ、残念な事にブルーグラスがお好きではなかったようで、ついにバンドには参加をしませんでした。ただ、エレキギターの方はなかなかの腕前で、セッションなどではギター、ベースなどバックを固めてくれたものです。
傑作だったのはかれのお手製のハンディーギターアンプBOXで、電源は乾電池ながら2入力あり、10W程度は音が出るという高性能。にもかかわらず重量は3kg以下でしたので、キャンプなどに行く時は重宝しました。キャンプ場で団体さんから(無料で)演奏を頼まれた事もありました。ただ、あまりに音量(楽器、歌声とも)が大きいバンドでしたので周囲の顰蹙も買ったようです。あの時のキャンパーの皆さん、ゴメンナサイ。m (__)m
夏休みが近づき、キャンプのシーズンになるとH君の事が思い出されてなりません。大汗をかきながら作ってくれた、彼のお得意のスパゲッティナポリタンをもう一度食べてみたいと思うのは僕だけではないと思います。そして、スパゲッティなどよりも、今ここに、彼が生きていてくれたらと思わずにはいられません。合掌。
2001年7月28日 アンクル・ハーリー亭主人
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