前略、なんて書いても何か堅苦しくなりやすね。まあ、ざっくばらんな話、私みたいな人間の話を聞きたがるあーたてえ方の了見が良く解からないん。そりゃ、私はあーたより長生きしてるけどさ、別に長生きしたからって特別何もお話しする事はないん。ただ生きてただけでね、まあ邪魔っけだと思えば死に神でもなんでもお迎え結構、てなもんでほんとにお話するような事は………。うん、まあせっかくわざわざ来て頂いたんだ、ただ帰す訳にはいかないやね、面白いかどうかは兎に角、じゃあ昔の話を聞いて頂きやしょうか。

 ありゃー、終戦のすぐ後の正月だったか、あたしが人形町鈴本に前座で詰めていた時のはなしですがね、その頃の寄席てえものが若い人間はみんな兵隊に行ったまま、まだ帰ってこないん。客も入らないからね、噺家、誰も真打、二つ目になりたがらないん。これはね、前座なら席亭から決まった給金をもらえるけど、二つ目になると客1人でいくらっていって、5人や10人の客じゃあもらえるお足も僅かなもの、だから売れない噺家はみんな前座のままが良いてんで、40、50歳の前座がいっぱいいたん。

 それでも、その正月くらいからぼつぼつお客がね、入り始めた。柳橋、金馬、歌笑なんていう人たちが当時の売れっ子で、ラジオなんかでもだれかが出ない日はない、と言うくらいの人気者。柳橋師匠なんざ、お抱えの車引きがいてね、一席おわるとそれってんで車で次の寄席に行く。好きな奴はそれを追っかけて行ったもんです。今ならストーカーで捕まるよ、ありゃ。…そんなもんでした。

 あたし?、あたしも戦後2年もしましたか、師匠の円蔵が復員して、その頃は寄席も多かったし、旦那方からお座敷も多かったから、結構な毎日でしたね。昼は寄席に出て夜はひいきの旦那衆の席で一席うかがう。あちしは一応師匠の円蔵のお供でしたが、旦那方は心得たもので、お供にも御ひねりをね、ちゃーんと下さいましたよ。下さいますればいただきます、下さいませんければいただきませんって、こりゃ湯屋番のくすぐりですがね。

 えっ!御祝儀を、下さる。なんだか請求したみたいで弱ったねどうも。えっ、みたいじゃなくて、請求しただろってまあおっしゃる通りですが。それじゃひとつ小噺でも、ねっ、聞いてくだはい。

 え〜、鶴の恩返し、なんてお話がございますね。罠にかかった鶴を助けると、きれいなご婦人になって、音を返す、という。我々噺家にかかりますと、そういうお話も少し違ってまいります。

 ある男、仕事の帰りに、罠にかかった鳥を助けた。お約束でございまして、夜になるときれいなご婦人がやって参りまして「ご恩返しがしとうございます、つきましては奥の部屋をお借りしたいのですが、どうぞ明日の朝まで部屋をのぞかないで下さいまし。」なんて言われて、男は一晩、寝もやりませず、となりの部屋で、コトコト音がするのを聞いて我慢している。翌朝になって隣りの部屋はシーン、として気配も無い。男、首をかしげながら部屋を空けると、部屋の中は布団から何からみんな持って行かれてもぬけのから。男は一言「あれは鶴ではなくてサギだったか。」

 普通の男ですと、これで懲りるところですが、落語の世界の住人ですから、この男、また罠にかかった鳥を助けた。お約束でございまして、夜になるときれいなご婦人がやって参りまして「ご恩返しがしとうございます、つきましては奥の部屋をお借りしたいのですが、どうぞ明日の朝まで部屋をのぞかないで下さいまし。」なんて言われて、男は一晩、寝もやりませず、となりの部屋で、コトコト音がするのを聞いて我慢している。でも、またサギだといけないてんで、夜明け頃に部屋をのぞいて見た。案の定荷物をしょって窓から逃げようとするのを後ろから捕まえようとしたが、以外に足腰が強く屋根の上をトントントンと身軽に逃げてしまった。「あれは、サギでなくトビだったか。」

 結局、男はいいカモだった、という……。時間がよろしいようで。

         2001年5月19日 アンクル・ハーリー亭主人

(小噺部分は初代金原亭世の介師匠口演「天狗裁き」の噺のまくらを参考にさせて頂きました)

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2001.5.19掲載