前略、歳はとりたくないもので最近物忘れが激しい。幸い妻子の顔と名前は忘れないが、昔付き合った17人の女性のうち5番目と11番目の名前が思い出せない。最初から存在しなかったという指摘もあるが、6番目と12番目は名前をかろうじて思い出すから、やはり居た事は確かのようだ。ただ、残念な事に顔まで覚えている女性となると2、3人なのでもしかするとそれが実態だったかも知れない。
まあ今となったら現在の美しい妻の存在が僕のハートを一人占めしている訳で、他の女性の事を思い出さないのも無理はないのかもしれない。女性が美しく見えるのは未亡人になった時だそうだから僕の妻も早く未亡人にして見たいが、そこに何か認識の齟齬があるような気もして今一つ納得が行かないところではある。この不完全燃焼的気持ちは墓の下に入るまで続くのであろうか。
冗談は顔だけにして、僕の葬式の件ではあるが、なるべく皆さんに余分な迷惑をかけない様に、挨拶などはあらかじめ自分で考えて、自分の声で録音しておこうかと思う。まあ悪い趣味だとは自覚しているけれど今まで他人に道を譲ってばかりいた男の最後のわがままぐらい黙ってさせて欲しいものだ。
願わくば義太夫の一節を語って弔問客の2、3人も病院に送り込みたいところだけれど(解からない人は落語の「寝床」参照のこと)、せっかく来てくれているだけで充分迷惑をかける訳だからまあ、挨拶は手短にしておいて、ブルーグラスのブレイクダウンかなんかでパーッと派手なBGMが良いですね。花も菊じゃなくて水仙かなんか可愛いやつを頼みたいですな。
お香なんぞはぜひ止めてもらいたい。煙くてむせた拍子に僕が生き返ったりするとガッカリする人が居たりするからね。棺桶なんかも白木なんぞは止めてアラベスク模様の布で包めば良いから大きいカラーBOXで代用しても良い。何か夜逃げみたいだけど。
葬儀委員長はS氏に頼むとして、挨拶はいいから太陽に向かって「バカヤロー」とひとこと叫んでもらう、と。あ、これは告別式ね、通夜の方は月に向かって吠えようか、萩原朔太郎じゃあないが。でも、なんか間抜けだね、それも。通夜はやっぱり泣くか、若いコンパニオンを派遣してもらってみんなで泣く、ククーッたまんねーな。えっ!不謹慎だって、いいじゃないの死んだ本人がいいって言うんだから、でも妻子の立場が無いか。じゃあ大川興行あたりに頼んで殉死、追い腹を切ってもらう、これにすっか。もちろんドラマ撮影用の血のりなんかをピューっと出してもらって、2、3人の刀は本物に変えておくと、これは更にいいね。えっ、趣味が悪い?元々悪いんだからしょうがねえんだよ。なんつったって死んじゃったのは俺だからね、何でもわかんないから。
でもまあ、無理かなあブラックジョーク、好きだけどなー。結局、普通になっちゃうのかなあ、やっぱし。やはり後に残る人間を考えない葬式は理不尽だしね、浄土真宗でやるかね。ありゃ、念仏だけで楽で良いし、墓の方は宗派を問わずってのにすれば良い訳で、あまり凝った葬式やると近所が迷惑だしね、普通が良い普通が。
でも、坊さんは選びたいけどなあ、せめて僕のように清廉潔白な君子(坊さんは君子って言わないかな)要するにあまり生臭くない坊さんにして欲しいって事だけ。ハイ、さようなら。
2001年5月5日 アンクル・ハーリー亭主人
P.S. 亭主の手紙も書き出してから1年が経ってしまった。よくもくだらないことを1年間も続けたものである。このへんで止めようかとも思ったがネタがまだあるのでしばらく続くかもしれない。
さらにP.S. 今服用している薬の副作用かもしれないが、この頃時々心臓の鼓動が若干シンコペートするのであるが、やや気になる。もしかしたらお迎えは意外に早いのかも知れない。昨日、ご先祖の墓参りをして墓誌を確認したら、祖父の享年を僕は既に通過しているのであった。僕はまだ死ねない。