前略、今日の話はharllyの心の中の出来事なのか、本当にあった事なのか、解からず書いています。
仕事中は秋晴れだった空が、あっと言う間に黒くなり時期外れの激しい雨が降ってきた。その中を駅まで歩いて、靴の中まで水びたしになった時、小学生の頃に隅田公園の池に片足を落として、ズックの中を水でズブズブ音を立てながら、家に帰ったのを思い出しました。仕事帰りに駅に向かう道のドブのような臭気が幼い頃の追憶を呼ぶ私の少年時代ですが、決して不幸ではなかった、と思います。近所の人たちが皆貧しかった昔、わが家とてけっして例外でなく、むしろ小学校の頃にはクラスの中でも1、2番の貧乏ではあったと思いますが、それでもとてもなつかしく思えてしまうのは、やはり現在がそこそこ幸福だからでしょうか。
隣のおばさんの笑顔や丸首シャツにステテコ姿のおじさんたちの話し声はいきいきとして、それを母の背中の後ろから見ているのが私の少年時代でありました。東京の下町はそこに住む人々の生活のエネルギーが直線的に人を貫き、暗い気持ちを知らない少年さえも何とはなしに励ましてくれました。
屋根の上から見た両国の花火。舗装も無いただの土の道に落ちている木場の材木運搬車の馬が落としたほこりっぽい糞。遠く聞こえる汽車の汽笛。東に下る汽車の煙。どの家も戸口や窓を開け放していた夏。乾いたすなぼこりの積もったガラス戸の桟。しじみ売りの声で始まる朝。母がかつおぶしをけずる音で目を覚ましたこと。朝食の支度の音と味噌汁の香り。味わって食べることより、腹を一杯にすることに情熱を傾けていたあの頃の食欲がなんてなつかしいんだろう。
人生をやり直したいなどとは少しも思わない私ですが、あの頃のあの町にもう1度立ってみたいと思うことが、あります。今の自分に比べて、ずっと大人で、洒脱で、怒りっぽくて、軟らかで、やさしい人々がそこに暮らしていました。
今、ふと思い出す私の少年時代は、材木店の木の香だったり、豆腐屋のにがりの混じった水のにおいだったり、縁日のアセチレンガスの臭いだったりします。マシン油、なめし皮、川の汚臭、猫の腹、古本、熟柿臭いおとな、そんなにおいの中で私は人生の方向を、少しばかり決めたんだとなぜか今、そう思います。
そんな事を考えているうちに雨が上がり、再度夏の日差しが首筋を刺し、水気をたっぷり含んだ空気が体にまとわりついて、汗が噴き出してきます。私は駅へと降りる階段を急いで降ると、バッグの中のタオルを出して濡れた顔や頭をぬぐいました。
今現在の私の人生が、あのほこりっぽい町の片隅から始まっている事は事実であるし、私なりに一生懸命生きてきたこれまでの人生を、後悔させないだけの懐かしさが、私をもう一度あの頃のあの町に立ってみたいと思わせるのでしょう。
ただ、今でもあの町には私の両親をはじめ、いろいろな人が生活していて、私のようにただ、懐かしいと言ってずかずかと入ってはいけない様に思うのもまた正直な気持ちです。ですから、大変残念には思うのですが、私の少年時代の思い出の町は、私の胸の中だけにこれからもずっと存在し続けるだけでしょう。そして、それだから私はあの町の人や、音、におい、輝きを忘れないでしょう。
2001年4月28日 アンクル・ハーリー亭主人