前略、しばらく体調を崩していましたが、ようやく本調子になったようなので、性懲りもなく旅に出ました。いきなり海外というのも万一のことがあるとスタッフに迷惑をかけるので病後の定番、温泉に行くことにしました。

 手頃なところで信州は上田市の別所温泉にしようと新幹線あさまに乗りました。平日の午後なので自由席はガラガラで、淋しくなるくらいでした。上田駅で別所線に乗り換えようかと思っていましたが駅前に出てみるとバスが止まっていて行く先がK掛温泉(すぐにばれるような仮名)となっていました。

 それを見たらとたんに気が変わり、バスに乗ってしまいました。バスは松本方面に向かって走ります。途中のバス停ではほとんど乗降が無く、40分あまりで終点のK掛温泉に着きました。田舎のバスは料金が高いです。1440円も取られてバスを降りると目の前に立派なホテル風の建物が建っています。(もっとも寝ていたら大変だが)建物を見上げながら財布と相談していましたが、ふと横を見るといかにも温泉宿です、湯治場です、と主張しているやや傾いた旅館がありました。私はもちろんその宿に向かって足をすすめたのでした。

 宿の入り口に入ると女将とおぼしき婦人が顔を出したので、一夜の宿を乞うと、こころよく部屋まで案内してくれ、お茶の接待を受けた後風呂に入りたいと希望した私に、女将は窓から共同浴場の建物を示し、「内風呂も有りますけれど。」とうつむき加減に言いました。

 食事の時間までまだ時間があったのでタオルを借りて共同風呂に行った私は、その風呂の余りのぬるさにぶったまげたのでした。温泉が流れ出る栓の周囲40cm以内では、温泉と呼ぶのもやぶさかでないのですが、いったんそのエリアから外れると、水温低下のため背筋がぴくぴくと危険信号を発してしまうのでした。

 鋭い気合と共に湯船から飛び出た私は、宿の女将がうつむき加減だった理由にはじめて思い当たったのでした。脱衣場に出た私は、台風で流され12時間後に救助された馬鹿なサーファーのように唇を青くさせて歯を鳴らし、急いで水分の除去に全力をあげました。結局はその水分除去運動のため体内から熱を発し、すんでのところで凍死からの脱出に成功したのでした。

 急いで共同浴場から出た私は、温泉町の雰囲気を味わうべく散策を始めましたが、何と50mほどで町外れに到達してしまいました。要するにK掛温泉には2軒の宿と共同浴場、そして僅かな民家で構成されていたのです。

 すっかり意気消沈した私は、所在無く宿へと戻り、空しく夕食の時間を呆然として過ごしたのでした。待ちかねた夕食は、マグロとイカの刺身、えびときす、野菜の天ぷら等、地元色が乏しい中に、焼き松茸と鯉こくが燦然と輝いていました。

 しかし、1人で食べる夕食は味気なく、手酌で飲むビールの味はほろ苦いものでした。(ビールは元々ほろ苦いけど)ビールから日本酒に切り替え、さらに杯を重ねてみれば、来し方行く末が走馬灯のように頭を廻り(単に酔っただけだが)そのまま夜具の上に倒れ伏し、仮寝の宿の夜は更けていくのでした。

 翌朝は丈夫な肝臓のおかげで何事もなく目覚め、何事もなく朝食を食べ、上田行きのバスには乗り遅れ、国道までの2kmを僅かな土産をぶら下げてスキップを踏んだのでした。

  2000年12月9日 アンクル・ハーリー亭主人

 P.S. 実在のK掛温泉には快適な浴場が有ります。

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2000.12.9掲載