前略、茶道の心は、一期一会。礼に始まり礼に終わると申します。同じく柔道、剣道など日本の武道も礼に始まり礼に終わると言います。

 では、料理は、と問うと、鍋に始まり鍋に終わると言います。(私が言いました)料理をネットワークにたとえれば(別にそんなもんにたとえなくても良いんじゃないか)料理を作るサーバーと、それをいただくクライアントに別れます。ところが鍋は、クライアントでありながらサーバーも兼ねるというハイパーターミナル、いわゆる鍋奉行が必要なのです。

 鍋奉行こそ、現代に必要とされるユーティリティーパースンに他ならないのです!(そんなに力まなくても良いが)そして何を隠そうこの私こそが、現代のカリスマ鍋奉行、人呼んで「ちり鍋harlly」と申します。

 私の鍋修行は6歳の6月6日に始まりました。なべと出し汁の相関関係、主材料と野菜など脇役の分量と盛り付け、野菜を切る大きさ、材料の投入順序とその割合、などなど苦しい修行の日々が続いたのです。その辛さに耐えられたのは、ただ1つ、出来たら食べられる、この1点に集約されます。特にふぐちりの時の修行は厳しいものがありました。

 いかに少ないふぐで美味しく、うつくしい鍋を仕立てるか、出し昆布の大きさから、ふぐのあらの投入時間、野菜にいかに出汁をしみ込ませるか、ぽん酢の調合の秘法、紅葉おろし用専用おろし金の開発などの地味な努力、そして最後に作る雑炊の塩加減など、私は苦しい修行を重ね日本鍋奉行選手権、ふぐちりの部で15歳にして優勝しました。そして、ちり鍋界にharllyあり、という評判は1夜にして全世界を席捲したのでした。

 現在は、魚鍋の部(ふぐちりの部の他あらの部など27種類)、肉鍋の部(しゃぶしゃぶ、鴨鍋他15種類)湯豆腐その他の部(湯豆腐、きのこ鍋など9種類)の全てで三ツ星鍋奉行の栄光に輝いている訳であります。

 思えば、茨の道でありました。「ふぐではない、ふくとお呼び!」などと、理不尽な圧力にも負けず、ほうとうは不味いという浅見光彦の誹謗にも負けず、全国のなべを25年間で制覇したのでありました。(ほうとうは僕も好きでない)

 ただ唯一納得がいかないのがすき焼きの作法であります。何が悲しくて肉に砂糖を振りかけて食べなくてはならないのか、あの松阪流に始まる関西すき焼き一派の乱暴さであります。(トムヤンクンは砂糖を入れて食べるけどまあ良い)うどんのつゆ(関西ではだし汁と呼ぶらしいが)が黒くて塩辛い、と言うくせに、牛肉なら良いのか。砂糖をかけて、醤油をかけて食うのか。責任者出て来い!(-_-)

 あっ、ちょっと興奮しました。まあ、おいどん、すき焼きは鍋じゃあないのでは、と最近思うとります。(訛ってしまった)同じ牛肉なら牛鍋と、こう呼びたい鍋を目指しとります。オージービーフでも美味しい鍋、これが理想なのですね。

 今までは材料を吟味し、道具に費用を惜しまず、動きは派手に、というコンセプトでやって来ましたが、これからは鍋道とでも申しましょうか、簡にして完を合言葉に、手軽で美味しいなべ料理の普及に残された人生をささげようかと思う今日この頃であります。草々

  2000年11月4日 アンクル・ハーリー亭主人

戻る

2000.11.4掲載