前略、また9月1日がやってきます。東京の下町に生まれ育った僕には、8月15日の終戦日や、8月6日、9日の原爆被災の日よりも忘れられない、関東大震災の起きた日です。墨田区横網にある震災祈念堂には、当時の被災写真が、3月10日のB29による東京大空襲の被災写真と一緒に展示してあります。
80年以上も前に起きた関東大震災ですが、小学生の時に初めて被災写真を見た時の恐怖は、その後に広島で見た被爆写真に匹敵するほどでした。人間の形のまま黒く焦げた死体を正視したあの時の悲しみは、僕を大自然に対する畏怖観とともに、人間が生み出すテクノロジーで、少しでも自然災害を防ぐ事を将来の生きかたに選ばせたのかもしれません。
戦争の犠牲者の写真も、僕と同じ人間が起こした愚かな行いとして忘れてはいけない事ではありますが、自然の災害の恐ろしさは、先の阪神大震災を引き合いに出すまでも無く人間の力の無力さを際立たせただけでなく、技術者の驕りに対する強烈なしっぺ返しでした。
日本の技術は、今も世界の最高水準にある事は間違いないところですが、肝心の技術者1人1人がその技術に甘えていたような気がします。もちろんそれは、私も例外ではありません。
この所の伊豆七島の地震や三宅島の噴火は、観測技術の高度化である程度予測が出来た事は間違いありませんが、それに対する人間側の備えは、けっして万全とは言えなかったのではないでしょうか。今現在も、避難生活をされている方々がいるという現実を、我々技術者は一時も忘れず、自然と共存して行く技術を追い求めて行きたいものだと思います。
日本人は、敗戦の焼け跡から驚異的なテンポで復興を成し遂げ、経済大国となりました。しかし、そのために犠牲になった自然は決して少なくはなく、同時に尊い命を落とされた人達がいます。これからは、本当の豊さというものを人間は考え直すときが来ているのでは無いでしょうか。
今、人間社会では情報技術(IT)革命ということが注目を浴びています。現在はITの良い面だけが注目されていますがその、負の側面も議論がされるべきではないでしょうか。現在でも、古くなったパソコンの廃棄処理が捨てられるスピードに追いついて行けないなど、決して楽観できない事態が起きてきています。もちろん、企業をはじめとしてその事態を憂慮して廃棄物のリサイクル技術が急ピッチで開発され、現実に稼動し始めています。この後も人類の英知と自然の暗黒面との闘いは終わることなく続いて行くでしょう。負けられない戦いがいつまで続くものなのか、楽観できない現実ですが、大勢の人々の力を合わせて行く事がこれからの人間に課せられた宿命だと思います。
今年も9月1日がやってきます。関東大震災などで亡くなられた方々にはもちろん、いろいろな自然災害に苦しめられている方々の事は一時も忘れてはいけないと思いますが、1年に1度、その気持ちを再点検しながら、1技術者として、1個の人間として、自分と自然との関係を常に考えて行こうと思います。そして、これからの新しい技術を、自然や、社会的弱者、と呼ばれる人達にも享受して貰えるように創り出して行きたいものです。
2000年8月26日 アンクル・ハーリー亭主人