前略、子供の頃、家にいた猫の話です、聞いて下さい。例によってつれづれのまま書き飛ばしたものですが。

 私が物心つく前から、猫が1頭いました。猫の名は「ミーコ」2.3歳の私の膝に乗る?とうより膝枕状態の写真を東京の母が見せてくれました。「ミーコ」は私が小学生2、3年の頃、交通事故で逝きました。事故を目撃した八百屋さんが知らせてくれ、父と事故の場所へ行きましたが、すでに息は無く、せんべいの缶に死体を入れて、200mほどの所にある保健所に届けました。まだ、ペットの墓なんて無い時代です。知らなかっただけかもしれませんが。

それから何年か後、家の屋根の上で降りられなくなっている野良の幼猫を兄と2人で捕まえ、母に飼う許可をもらいました。名前は私が「ペプシ」と付け、雌猫だったと思います。何年か後、「ペプシ」は妊娠しました。

 家業の都合上、私達兄弟は夜は別棟で寝起きしていましたので「ぺプシ」が産気づいたのは夜中で、初めての出産という事もあり、生んだ子猫は全て食べてしまった(らしい)。猫嫌いの父ではあったが、その時は精一杯世話をしたのがかえっていけなかったのかと、何日も悔やんでいた。骨を噛むゴリゴリという音が耳について忘れられないとも言っていました。

 翌年、また「ペプシ」は妊娠をし、その時も夜に出産となったが、父の介護もあって無事5匹の子猫を産み、私などは、「ペプシ」が子供たちに乳を与え、舐めまわすのを遠くから見ていただけだった事を思い出す。その時生まれた5匹の猫は、あらかじめ父が受け取り先を決めておいたという。ただ、事情が変わって雄の一匹だけは、我が家で育てる事になりました。

 「ペプシ」はよくねずみを捕る猫でした。半年もしないうちに、我が家の天井裏や倉庫からねずみがいなくなりました。「ペプシ」はねずみを捕ると、自分の子供の所に生きたまま運び、狩りの練習をさせるのでした。その子猫には名が付いていなかった。

 その子猫が成猫になるころ、母猫の「ペプシ」が姿を消してしまった。近所の人の話では、三味線に使う皮を集める人間に盗まれたのだろうとの事。当時は(いや今でも)傷の無い飼い猫の皮を集める業者がいるのだ。(三味線関係の業者の方々には、なんら含む事はありません。)母猫を失った子猫は、母の名を継ぎ、「ペプシ」になりました。

 2代目の「ペプシ」は利口な猫でした。家族のみんなにかわいがられて大きく育ち、私が学校へ行くために外に出ると、いつも十字路の角まで見送りに来るのが常でした。そして、私が帰ってくると、どこにいても迎えに出てくるのでした。そして夕食を摂ると、夜の散歩に出かけるのが日課で、私は、別棟で勉強をしながら、また、布団に入っても、「ペプシ」が入れるように、窓を10センチ程、開けておくのが常でした。「ペプシ」も12時前には帰ってきて、私の布団に頭から入り、中で器用にUターンして、頭だけを布団の外に出して寝ていました。私が風呂に入れば、湯船のふちに跳びあがり、私が半分蓋を閉めてやると、その上で私が出るのをおとなしく待っていました。ただ、1度だけ、ふたを自分で蹴り落として、湯船に転落した事がありました。猫が泳ぐのを見たのは、それが初めてで、最後の事です。その後、その猫は私が社会人になり、就職先の寮に入っても東京の家へ私が行くと、歓迎してくれました。が、それから3年後、天寿を全うして亡くなりました。今、飼っている「との」はその猫に似て、賢い猫に育っています。唯一つ「ペプシ」と違う点は、お風呂が大嫌いという点でしょうか。いずれにしろまだやっと3歳、いたずらっ子振りはますます磨きがかかるようです。

 「との」も事故や病気にならず、天寿を全うしてくれれば良いと思っています。

   2000年7月20日   アンクル・ハーリー亭主人

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2000.7.20掲載