哲学者になるには

 この頃、このままいくと私はソクラテスのような哲学者になれそうな気がする。哲学者が無理でもソクラテスのように悪妻を持った人間にはなるのは確実だ。

 昔、東京大学の大河内総長が「ふとったブタになるよりも、やせたソクラテスになれ」と卒業生に言葉を贈った(実際には原稿のその部分を読み飛ばしたらしい)が、私はふとったソクラテスになるのだろう。だいたい、ソクラテスがやせていたかふとっていたか、その決定的な証拠は無いのだ。この世にふとった哲学者などいくらでもいるだろう。少なくとも体重と身長の極端なアンバランスが哲学者としての能力を少しも左右しないことは弁証法的に正しいと思う。

 一時期(一時期ではないかも知れないが)アメリカのビジネス界では太っている人間は自己管理の出来ない人間であり、従ってエグゼクティブにふさわしくない、と言われた。大きなお世話である。太り続けているならともかく、20年以上同じ体重を維持している私などは、自己管理能力抜群ではないか。やせる方法は、無い事は無い。ジョギング等のスポーツをする、食事量を減らすなどだが。しかし、これは、怪我の可能性が高い。唯一考えられる方法は、基礎代謝量を増やす、のが良いと考えるが、これもまた、そうするためには筋肉量を増やす事になる。筋肉量を増やすためジム等で運動をすると、やはり怪我の可能性がある。また、筋肉を増やし脂肪を減らすと、水に入ったとき浮力が減り溺れる危険さえある。そんな危険を冒してまでやせることにいったいどんな意味があるのだ。

 私とて、無駄に馬齢を重ねたわけではない。年齢相応の食事をとるようにしている。普段の食事も肉、油ものから、魚、野菜類に徐々に変えてきた。そうでなければ今頃は成人病の巣窟となっていただろう。でもそうしたのはあくまで「好みの問題」で、成人病予防とか、ダイエットのため、などはくすりにしたくも無い。それに、最近は魚も高くなって、肉を食った方が家計の健全度は高いだろう。そこをあえて魚を食っている私は、自分で言うのもなんだが、へそまがりそのものだ。

 まあ、どっちにしろ人間いつかはどこかの部品が壊れて、死んじまうのだから、食いたいもんを食うよ、私は。その時がいつかはわからないから、早いうちに来ても良い様に遺書、財産(そんな物があるのか?)目録と遺贈者リスト、葬儀の手順、遺骨の処分、遺族の生活、などなどの指定をやっておくべきだが、作業量が多すぎて、死ぬ暇も無い。

 今のところ、肝臓と頭以外は悪いところはない。(頭だってそれほど悪くない)肝臓が悪いのは、アルコール飲料を飲み過ぎるせいだが、最悪期を脱し、順調に回復している。少なくとも翌日に繰り越すほど飲む訳じゃなし、酔って人に迷惑をかけるでもなし、自他ともに認める、見本的な酒飲みではある。

 ところで、哲学者の話しに戻るが、古今を問わず哲学者は何か一言、後世に残る名言を吐かなければいけないらしいので、私も一つ考えてみた。曰く「体重には脳の重さも含まれることを忘れる無かれ」これを説明すると(説明が必要なのが情けないが)、デブでもそれ相応の知性は持っているのだから、馬鹿にしないでよ、ということだ。じっくり考えると、我ながら情けない言葉だ。そのうち、もう少しましなやつを考えよう。

   2000年7月1日  アンクル・ハーリー亭主人

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2000.7.1掲載