前略、日が沈んでから、外は静かに雪が降っています。音もなく、大粒の雪が降りしきっています。空から静かに地上に降り立つ白い訪問者は、刻々とその高さを増し、周囲の全てを丸く覆い尽くしていきます。スキー場から峠を一つ越えた奥にある僕の山荘も白く覆われてしまった様です。それでも、僕は、この山荘で、管理人夫婦との晩餐を愉しんでいます。
毎年、この季節になると、都会の喧騒を離れて山荘にこもる事にしています。スキー場より山奥、数十戸の住民が住むマティルスン村のはずれに僕の山荘は有ります。隣のスキー場がある町は、グルノーブルとかいう、やたらとイタリア料理店が多い町で、以前に冬季オリンピックが開催された、などと地元の人は面白くも無いジョークを言います。
きっと、あのイタリアの爆弾男、アルベルト・トンバなどがスキーにきたせいでしょうか、イタリア料理はそこそこ、美味しいようです。
グルノーブルまでは、パリから鉄道(TGV)が引かれていて、それほど時間をかけずに日本からやって来る事が出来ます。横浜の我が家から成田空港に行く方が何倍も大変です。TGVも、日本のJRや、国土交通省の役人が言うほど乗り心地も悪くなく、適度に乗り物酔いをして、ビール代の節約になります。
山奥の村、とは言うものの、グルノーブルの町を見下ろすゲレンデまでは、車の道はきれいに除雪されているし、そこからゲレンデを迂回して、マティルスン村の山裾までは冬季仕様の車で入ってこられます。
後は、ロープウェイか、ゴンドラリフトを利用して、荷物共々、村人たちの助けを借りながら運び上げます。村人はほとんどがグルノーブルに働きに毎日通っているので、日常品なども、頼めば調達してきてくれます。
寒さも、風さえ吹かなければ、陽射しが暑いくらいの時も有りますし、それほど過ごしにくい村では有りません。雪の無い季節などは、戦前の軽井沢を彷彿とさせる(戦前の軽井沢をよく知りませんが)ような雰囲気があります。住めば都、とはよくいったものです。都というより、激しく田舎ですけど。
というわけで、雪に覆われた村に、今年も懲りずにやって来ました。今年は、日本でゴンドラリフトの事故が有ったせいか、はたまた生来の高所恐怖症のせいか、村の地を踏むまで、少し恐い思いをしましたが、着いてしまえばこっちのものです。普段から管理をお願いしている村役場のピエール・ジョスパン氏から山荘の鍵を受け取り、まずはデッキに出て、景色を満喫します。
村の教会の尖塔に十字架が西日を受けて輝き、村には夕暮れが訪れ、雪がオレンジ色に染まり、眼下の村でも家々の窓が温かそうに明かりがともり始めます。東の空には、早くも夜のとばりが降りようとしています。山荘の暖炉も、柔らかく部屋を暖め、旅の疲れを癒してくれます。僕は、冷えた体を暖炉の前に運び、ジョスパン夫人の心づくしの料理を味わうのです。
明日からは、自炊ですが、村についた日だけは、ジョスパン氏ご夫妻との楽しい夕餉を囲むのが習慣になりました。素朴な田舎料理と言ってはそれまでですが、この夕餉も、僕がこの村に山荘を持つ事にした理由でもあるのです。
パリにも別宅があるぼくでも、いつもマキシムやトロワグロの鴨料理ばかり食べているわけでは有りませんよ。アハハハ……って、誰も信じていないな。(泣)
2003年12月6日 アンクル・ハーリー亭主人