前略、アメリア・イヤハートという女性の名に初めて出会ったのは、僕が大学に入学した年だったと思います。出会ったといっても、その時点で彼女の没後40年近く経っていたわけで、面識はもちろんありません。その女性は、欧米では、女性で初めて大西洋横断単独飛行に成功したパイロットとして有名です。つまり、あの「翼よ、あれがパリの灯だ」で有名なチャールズ・リンドバーグの女性版、というわけです。
アメリカのスミソニアン博物館には、リンドバーグの愛機「スピリット・オブ・セントルイス号」と並んで、彼女の愛機「ロッキード・べガ」が展示してあるそうです。そして、それと並んで、広島に原爆を落としたB29「エノラ・ゲイ」も…。
ところで、僕がアメリア・イヤハートの名を知ったのは、ブルーグラスの曲名からでした。当時の人気ブルーグラスバンド(彼女は不慮の事故で亡くなったのですが)の曲にその様子を唄った歌があり、その曲を僕が気に入ってバンドのレパートリーにしたからです。
この曲は、アメリアの夫であったパトナム氏が、彼女の最後のフライト(それは双発の2人乗り飛行機による世界1周飛行の成功を目前としたフライトでした)の時に記していた、飛行日誌を元に編集した本の題名「 Amelia earheart’s last flight」を題材にしたものだそうです。
地球を四分の三周し、世界一周達成日に予定されていたアメリカ独立記念日を目前に控えた7月2日、ニューギニアからマーシャル諸島へのフライトの途中で行方不明になったのでした。
僕がその歌に出会った時には、まだアメリア・イアハートは南太平洋の珊瑚礁海に墜落、もしくは不時着後、亡くなったものとされていました。よって、歌詞の内容もその悲劇的な死を悼むものになっています。(と、いってもはじめの頃は意味も知らずに唄っていたけどね)歌詞も、3番まであり、物語になっているので、途中をカットするわけにいかず、僕のレパートリーでは異例の5分を越える長い曲になっています。初めはもっと長かったのだけど、間奏を短くしました。但し、歌詞はドラマティックなものなので、覚えるのは苦になりませんでした。ただ、2番の歌詞と3番の歌詞が混ざることが多かったようです。(まあ、聞いてる人は気が付かないから)
その後、歴史的な視点で、アメリア・イアハート事件が脚光を再び浴びているのを知りました。それは日本軍による撃墜説でした。同時にアメリアは米軍のスパイだったという説が流れました。
当時のニューギニアからマーシャル諸島周辺、いわゆる南洋群島地帯は、赤道を境に、北は日本、南はオーストラリアの信託統治領でした。これは、第1次世界大戦で、ドイツの植民地であった南洋群島を、国際連盟の裁定で連合軍の一員であった日本とオーストラリアが実質的に分割したものです。
アメリアが飛行した当時は、まさに太平洋戦争前夜、という時期です。アメリアの行方不明機捜索に、当時のアメリカ大統領のルーズベルトは大規模かつ長期間を費やしているのが、スパイ説の根拠になっているようです。まったく、人の思い出の唄になんてケチをつけてくれるんだろう。
2003年11月29日 アンクル・ハーリー亭主人
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