前略、今日は映画について語ります。僕と映画との間には、宿命と考えられるような不思議な事実がいくつかあります。

 まず、僕の映画デビュー?は僕が生まれてまだ6ヶ月、20世紀フォックスの日本ロケに請われて出演した時、ということです。栴檀は双葉より芳し、というように、アメリカ人にも僕の素質が隠しきれなかったのでしょうか。

 このときのせりふは、残念ながら記録されておりません。おそらく「あぁあぁ」とか「うぅうぅ」といったグレゴリー・ペックが赤ん坊だった頃のようなせりふだったのだろうと推量されます。その後は、演技について悩みが多く、スランプが続き、映画出演は控えています。今後もずっとスランプが続くものと思われます。

しかし、僕は公私共に多忙になっても、映画を愛し、日比谷や新宿、浅草の映画館などに頻繁に足を運んだものです。物心ついてから初めて見た映画は「ゴジラの逆襲」(東宝1955年度作品)ですが、覚えているのはゴジラが隅田川に出現して、帰り道に通る橋を破壊したため、どうやって隅田川の向こうに有った家に帰るのか心配して泣いた事だけです。

その後も、母や叔母たちに連れられて浅草や日比谷に行きましたが、叔母と行くときはなぜか知らない叔父ちゃんが一緒だったのを覚えています。なんだか悲しい映画で、叔母が涙を流していたのも覚えています。題名は「真昼の暗黒」だったような気がします。

その後、僕も1人で映画を見に行ける年齢になると、1人で行くより2人で映画を見たほうが盛り上がる(何が?)という事実に気がつき、主に女の子を誘って行くようになりました。当初は、2人ではなく4人とか、なぜか2の公倍数で見に行っていたようですが、やがて水が低きに流れるように、特定の女の子と、小指をからませたりしながら映画館の入り口をくぐるようになったものでした。ときどき相手が変わりましたが……。

初めて女性と2人で見に行った映画は、そういう訳で、良く覚えていません。洋画なのは確かですけれど。たぶん、テアトル東京か日比谷映画だったのですが、今は2軒とも無くなっているらしいですね。都営地下鉄1号線(浅草線という名前はもっと後に付いた)で行きやすかったせいでしょう。という訳で、地下鉄の東銀座駅から銀座を通って日比谷までの地下道には、僕の初恋の思い出が詰まっているような気がします。思い出を掻き分けて通過しなければならないほどです。(重いで、ナンチャッテ)

この頃は僕も、めっきり映画館に足を運ぶ機会が無く、また、1度足が遠のくとなかなか通うのも億劫になってしまっています。そうかと言って、映画館の方から来ていただくのも無理ですからね。

世の中も、一つの建物の中にいくつもスクリーンを持った映画館が増え、たまには映画でも見っぺかな的いいかげんさで行くと、場内で激しく迷う事になります。また、3軒並んだ映画館で全く同じ映画をやっていたりして、びっくらこくこともあります。誠にこの世は何が起きるか解りませんね。

特に、最近はCGの技術も進歩したようで、アクションシーンなどオイオイと突っ込みを入れたくなるような奇想天外な動きが普通になってきてしまい、物理学的見地からは憂慮すべき事態だと思います。なんて、野暮は言わないで楽しみましょうか。

         2003年11月8日 アンクル・ハーリー亭主人

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2003.11.8掲載