西暦2025年8月、火星に消えた株元博士他のキントト号を捜索に、キントト2号で火星に降り立った私たちが見たものは、無残に壊れたキントト号の姿であった。

 しかし、そこに当然あるべき、株元博士たちの遺体は発見できなかった。もしかしたら、助かっているかもしれない、という希望が我々救助隊に芽生えつつあった。

 というのも、キントト号には大変優秀な緊急脱出用宇宙艇が備えてあり、それだけでも充分に火星往復可能であったからである。だったら、何故最初からその宇宙艇を使わなかったか、疑問を持つ方もいるだろうが、あくまでもスポンサーのキントト薬品の意向に逆らえなかったからである。

 キントト号には、キントト薬品のロゴマークが燦然と下品に輝き、あくまでスケールの大きい宇宙船での旅行が求められたからである。つまり、はっきり言えば、キントト号はただの張りぼてで、緊急脱出用宇宙艇がキントト号そのものと言って良かったのである。大変に意表を突いた展開になって、書いている本人も驚いているところである。

 案の定、5分間ほどの綿密な調査で、火星表面で壊れているのは、キントト号の張りぼて部だけで、緊急脱出用宇宙艇部分は、どこに飛んで行ったのか、消えていた。

 キントト号が横たわっているこのあたりは、火星の表面でも比較的平らなところで、周囲にはあまり高い部分は無い。遠くには山の連なりと思える黒い塊が見えるが、周囲は見渡す限りの赤い砂漠である。

 そして、株元博士たち、第1次探検隊のメンバーが乗っていると思われる宇宙艇の姿は見えない。どこに行ったのか金星探検隊!(なぜ金星探検隊が火星にいるかは、まだ謎である)

 とにかく、我々もスポンサーが見ていないので、キントト2号の大げさな外被を取り外し、身軽になって火星の上空から捜索を開始する事にした。我々の宇宙艇は、大気中ではドコンジョーフレミング浮遊力を行使して飛行する。なお、ドコンジョーフレミング浮遊力についての解説は、もう気が付いているだろうが別途執筆予定なので割愛する。

 ここで、筆者は気が付いたのであるが、どうして無線等の通信手段を使って捜索しないのであろうか。実は忘れていただけなのである。そこで、早速無線で株元博士を呼んでみた。だが、応答が無い。いろいろなチャンネルを使って呼びかけてみたが、帰ってくるのはノイズだけであった。

 なお、2、3度テレビ朝日のチャンネルを使ったので、お見苦しい点があったらお詫びする。特に、私の顔がアップで映ったときが1番お見苦しかったかと思う。国連人権委員会等からも注意を受けるかもしれない。

 さて、万策尽きたと思われる頃、我が艇は火星の最高峰オリンポス山(標高25000m)の頂上を超えた。その瞬間、眼下のオリンポス峡谷の暗い影の中に、光る物体を発見したのである。

 だんだんお約束通りの展開になりつつあるが、もはや紙面も残り少なくなってしまった。この続きはまたの機会に。セイムタイム、セイムチャンネル。

         2003年5月3日 アンクル・ハーリー亭主人

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2003.5.3掲載