前略、春は別れの季節ですね。小学校、中学校の卒業式の少し悲しく、希望に満ちた別れ。高校生の時の卒業式は、大学生活と浪人生活の厳しい別れのときでも有りました。卒業式の後で、学生服の胸のボタンを渡した後輩は今どうしているでしょうか。

 そして、いろいろな人との出会いと別れ。人は孤独に生きるけれど、1人では生きられない。このごろの僕は、そんなことを考えています。僕も、人との出会いが自分を支えてくれることをしみじみ思い知らされるような年齢になりました。

 春は、また、出発の季節でもあります。出会いの季節です。別れと出会いは人生のうらおもて、出会わなければ別れることは無いのですから。

 僕にも様々な出会いの経験があります。特に印象深いのは、自転車に乗っている時に急に曲がってきたトラックと出会って(一般的には衝突と呼びます)、救急車に乗ったことです。

 冗談はともかく、僕も自分でも飽きるほど人生を長く過ごしたものですから、様々な別れと出会いを経験しています。物心ついてからでも、幼稚園では、園児代表で、送辞と答辞を読みました。正確には、まだ字が読めなかったので、全部丸暗記して、白紙を持ってマイクの前でしゃべった様です。歌舞伎でいうところの、弁慶の勧進帳を彷彿とさせます。この頃の経験が、後にバンドのMCに役立ったかどうかは定かではありません。

 冗談はともかく、現在の友人の中で最古の出会いは、この幼稚園時代にありました。この亭主の手紙シリーズでは、1番始めに登場しています。彼との付き合いは、妻との結婚生活の倍近い歳月になります。女性だったら放っては置かないところですが、残念な事に男なので、なるべく物理的接触は避けています。

 お互い、青春時代の多感な時期を、共に悪い遊びに没頭し、お互いに悪影響を与え合った仲です。あの時、幼稚園で出会わなかったら、と、お互い思っているかもしれません。大学を卒業するまではごく近所に住んでいて、毎週のように遊びまわっていました。何の因果か、仕事の都合でお互い横浜方面に来てしまい、また、PCなどでときどき遊んでいます。縁は切れそうにありません。学生時代に、彼と彼の愛車のホンダZに乗って、よく湘南にドライブに来ていたのも、人生の伏線だったのかもしれません。

 僕も彼も、お互い若い頃にドライブをした国道のすぐ裏通りから数百メートル奥に入った高級住宅街の裏側に住んでいます。おかげで僕は国道1号線、彼は16号線と、暴走族に悩まされるはずが、遠すぎて音が微かにしか聞こえません。便利な場所に家を持つ事が出来ないで幸いでした。

 横浜も、どんどん道が整備されてきて、ますます渋滞がひどくなっていますが、彼の家まで裏道を使うと30分ほどで着きます。先日など、あまりに近道をしすぎて道に迷い、危うく米軍基地に侵入するところでした。基地の中を通れば、まだ10分ほどは時間が短縮できるはずですが、実弾が入っていそうな小銃を構えた米兵に睨まれて、スゴスゴとひき返してしまいました。

 やはり、実戦経験のありそうな兵士の眼光は、ちょっとトイレに行きたくなるくらい恐いものでした。

         2003年4月26日 アンクル・ハーリー亭主人

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2003.4.26掲載