前略、僕が子供の頃、週に1度通っていた日曜学校は、緑色の屋根とレンガ色の壁の大きな教会が主催していました。今、考えてみると仏教寺院が経営する幼稚園に通っていたぼくが、小学校から教会に通うことになるのも、日本人ならではの経験ですね。それに、特に宗教色が濃い行事もありませんでしたし、何より僕自身が、そんなことを少しもわかっていなかったのですから。
日曜学校に通うようになったのは、幼稚園の時の友達に誘われたからだったように思います。彼とは小学校が別々になってしまったのですが、そうやって友情は続いていたわけです。
もっとも、友情とは別に、その日曜学校には可愛い女の子が通って来ていて、その子たちと遊べるのも僕が一面では退屈な時間を、教会の敷地内で過ごすモチベーションにはなっていたのでしょう。
というようなことは覚えているのですが、日曜学校でどんな事をやったのか、さっぱり記憶にありません。もっとも、その頃、小学校でどのような事をやったかも覚えていないので、特に変わった事はしていなかったのでしょう。変わった子供がいましたけれど。え?僕の事?そうですよ、もちろん。
変わった、といっても口から火を吐くとか、身長が3mあるというわけではなく、あくまで行動パターンが変わっているということでした。非常に孤独を好む少年であったようで、自分の周囲2m以内に人を近づけない、近づくと離れる(フットワークが良かった)ようなシャイなガキでした。特に女子(懐かしい呼び方だ)が近づくと、今の僕では信じられないほど恥ずかしがって、逃げるのが常でした。(ホント)
とはいうものの、僕も男の子(小学生だが)彼女の動静はしっかりと目の端に捕らえているのでした。いや、むしろ目の真ん中に捕らえていたのかもしれません。(今でいえばストーカー?)そこまではいきませんが。
でも、その子の事を含め、当時の思い出は霧の中です。ひょっとしたらまるでフィクションのようです。きっと、当時から読書を習慣としていたので、何か記憶が混乱しているのかも知れません。アルツハイマーなのかもしれません。僕はフルトベンクラーがカラヤンより好きです。……何を言いたいのだろうか。
アドベンチャーですなぁ。なんか、訳がわからなくなりました。まぁ、僕の書くものはおおむね訳がわからないというのが定説です。もう少しこの調子が長続きすれば、芥川賞ゲットも夢ではありませんが、なんだかわからない。
少年、老い易く、学、なり難しという言葉が、この頃、見にしみるようになりました。これまでの人生を振り返って、何事かを成したか、と問われると激しく羞恥する以外ありません。
元々僕は、学術には向いていなかったのではないか、研究開発という仕事は僕にとって手に余る業務ではなかったか、そう思っても、もう帰らない日々であります。