前略、僕がその年のクラス対抗陸上競技大会に出場したのは、ほんの気まぐれからでした。体育会系のクラブに所属している生徒が多かった僕のクラスでは、出番も無いと思っていたのですが、1500mにエントリーする人間がいないのを見ているうちに、なんとなく手を上げてしまったのです。もちろん、まったく自信が無かったわけではありません。勝算とまでは言えませんが、充分に走ることが出来るだろうと、思っていました。
大会本番までの一ヶ月は、主にスピード練習に重点を置いていました。持久力の方はバスケットボール部に籍をおいていた頃から自信があったからです。とはいえ、練習する時間は、1日2時間ほどしかありませんでした。当時は家庭教師のアルバイトをしていたのと、勉強の方の調子があまり良くなかったせいです。
ということで、納得がいかないままレースの日になってしまいました。当日は、午前中に予選、午後のリレーの前に決勝というスケジュールでした。僕は、朝の5時に起きて、食事をしただけで、後はレースが終わるまで何も食べないつもりでしたが、実際には、昼に友人からカステラをもらって少し食べました。緊張で、それ以上何も食べられなかったのが実態ですが、かえってそれが腹痛などを起さずにすんだ理由かもしれません。
朝の予選についてはそれほどお話する事はありません。上位15位までが決勝進出と決まっていましたから終始10位あたりを走っているだけで、次々にオーバーペースで脱落して行く人間がいたので、そのまま5、6位でゴールしたと思います。自分でもあんまり簡単に予選通過してしまったのでビックリしました。タイムも予想タイムより1分以上遅かったのですが、これは決勝ではあてにならないと改めて気を引き締めたものです。
午後の決勝は、考えていたのとは逆に、スタートから速いペースで始まりました。気温も上がりかなり苦しい序盤戦でした。しかも、集団がなかなか崩れない展開で、スタート直後から何度も足を蹴飛ばされました。1周200mのトラックを7周半するわけで、先頭から離れると後半が苦しくなります、ここでは、なんとか先頭グループにくらい付いて走るだけでした。それでも、5周目では、やっと先頭集団が10人くらいになり、僕もなんとかその集団の後部に遅れず、付いて行くことが出来ました。
この時点で、僕は少し余裕が出来て、少しピッチを上げ、ジリジリと前を行く選手を追う展開になりました。前を行くランナーの肩が苦しそうに上下していました。僕はまだ、先頭との距離を測る余裕がありました。最後のスプリントには自信がありましたが、それだけの足が僕に残っているか、やって見なければわからない状況でもありました。
最後の1周の鐘を聞いたとき、5番手の僕と先頭との差は15mほどありましたが、先頭のランナーは明らかに苦しそうに首を振っています。2番手についていた選手が最初のコーナーで抜きにかかります。すぐに僕も、直前の選手を抜いて4番手に上がり、前の3人を追いました。バックストレートでさらに2人を抜きましたが、先頭は捕まえきれません。この時にはもう、僕にはまわりの声が聞こえない、ただ自分の呼吸する音だけが単調に聞こえていました。そして最後のカーブ、気が付くと先頭の背中がもう目の前に見えたのです。残念な事に、それに気がついた僕は、突然冷静さを取り戻し、最後の直線に出るまで先頭の後ろに付くことにしてしまったのです。そのためかどうか、最後の50mで僕は全力でラストスパートをかけましたが、先頭のランナーを抜く事が出来ませんでした。当時は本当に残念でしたが、今は良い思い出のレースになっています。
2003年2月8日 アンクル・ハーリー亭主人