前略、物心ついてから、と言うより、異性を意識し始めてから初めて異性の手を握る経験をするのは、僕の年代では「フォークダンス」というやつでした。運動会の午後の部、最初の出し物だったように思います。きっと、昼休みでダラけた生徒の心を再度引き締めるのが目的であったように思います。
特に、僕の場合は(おおかたの男子は同じだと思うが)フォークダンスとはいえ、相手を選びたいと思いました。できれば憎からず思っているC子ちゃんと手をつなぎたい、こう思うものです。(先方は迷惑かもしれんが)
ところで、フォークダンスもいろいろなフォーメーションが有って、「マイムマイム」のような、みんなで隣の子と手をつないで丸くなって、世間話もできない態勢の方式や、「オクラホマミキサー」のように、男女がペアになるのではあるが、数秒で相手が替わって行くその数秒に全てを賭ける、という方式がありました。
まれに、男女のペアが決まると1曲全部、その子と踊れるという、ラッキーなダンスもありましたが、それを踊れるようになったのは高校生になってからのことでした。
いずれにしろ、小学校の運動会の出し物ですから、「マイムマイム」と「オクラホマミキサーを1回づつ踊って終わりですので、運動会当日は特にどうでも良かったのです。問題は、それ以前の練習のことです。この場合、「オクラホマミキサー」を繰り返し練習するものですから、普段そばにも寄ったことが無いという他のクラスの女子のゾーンまで行ってしまい、普段は遠くから見ていただけの女子と手をつなぐ、その隙にほんのわずかな時間でも話しかけたりして…。これが、僕は楽しみでした、思えば可愛らしい楽しみです。今の子供では考えられませんね。
自分で白状しますが、僕はとても優柔不断な性格で、女子との交際も、相手に合わせて何人か同時進行みたいな、誰とも本気にならないような、そんな男でした。もっと白状しますが、どんな女の子からも付き合ってもらえないモテナイ男子でした。
そんなモテナイ人間にも、恋のキューピッドは気まぐれに恋の矢を放ちます。特に小学校時代に僕のハートを射抜いた恋の矢は、かなり深く刺さった様で、経験も少なかった僕には、重荷だった様です。
当時、ミュージカル映画「ウエストサイド物語」が浅草で上映していたのを見たばかりだった事も有り、僕は初めてマリアに会ったトニーのように恋に落ちたのでした。(解らない人はゴメンね)僕にとって彼女の名前は、僕の短い人生の中でも最も美しく響いたのでした。大きな声でその名を叫べば、その名は極上の音楽のように聞こえ、やさしくつぶやけば、それは祈りの声にも似て胸を打ちました。(映画音楽の歌詞を剽窃しておりますが)ま、そんな具合で勉強も手につかないほどの恋でありました。
その後、中学、高校と年に数回ほどはフォークダンスを踊る機会が有りましたが、あの時ほどのトキメキには再会できません。考えてみれば、僕は一生分の恋を、その時に費やしてしまったのでしょう。
その割にはその後もいろいろと有りましたけどね……。えへへ、まあそんなもんじゃないですか。
2003年2月1日 アンクル・ハーリー亭主人