Valley Ramblersのボーカリストとしての矜持が、マイクスタンドの横に譜面台をおっ立てることを拒んでいる。常日頃から僕はこう宣言していた。「吉田拓郎のような、みっともない真似は出来るかい。」
しかし、我々のレパートリーは全て英語の歌詞である。「ボブ・ディランも譜面台を置いていたなぁ。」と少し弱気になることもあった。唯一の救いは、聴衆のほとんどが日本人かまたは空席であるということだ。ましてや、僕の英語は由緒正しいコロラド訛りであるからして、歌詞を多少間違えても気づかれる危険性が限りなく0%に近い。おそらく、1番を3回唄っても気が付かれないだろう。ひょっとすると全曲同じ歌詞でもいいかもしれない、などと考えると非常に心が落ち着いてきた。
本当は、全曲をインストルメンタルにすれば唄わなくても済むが、その場合はマンドリン演奏の方に注目され、手を抜きにくくなるような気がする。おそらく誰も知らなかっただろうが、僕はマンドリンも弾くリードボーカルなのであった。ブルーグラスの世界では、フラットマンドリン奏者はバンジョー奏者と並び、楽器演奏に非常に高い技術レベルを要求される。したがって、世の中には多くの名プレイヤーがいるのだが、彼らのほとんどはリードボーカルをとらない。演奏に忙しいか、歌詞を知らないかのどちらかであろう。
そういう現状を知りながら、なぜ僕がボーカルをするか、といえば、「目立ちたい」この一言に集約される。よって、非常な矛盾を抱えながら、歌詞を覚える作業に励むのだった。演奏の方は、ある程度練習すれば、体が覚えて暗譜で演奏する事は、僕のようにいわゆる天才には、比較的易しい。しかし、歌詞の方は全て、僕が日本語の次に苦手とする英語であり、意味不明の言い回しなどもあってさすがに、てこずるのだった。
しかし、だんだん練習を繰り返すうちに、覚えてきたことを自覚できる部分が存在するのに気が付いた。こんな事なら、2年前から練習すれば全部覚えるのも無理ではなかっただろう。しかし、もう本番まで時間が無い。舞台の緞帳の向こうには、僕たちの演奏を聞きたい人と僕自身を見たい人で、あふれるほどに空席が目立つ。僕が出なければもう少し聴衆が多かったかもしれない。
そんな事をくよくよ考えているうちに、緞帳の向こうで司会者が聴衆に挨拶をしている。テープなどは投げないように、などと、さっき僕が教えたボケをかましているようだ。僕たちの前に2グループほどレベルの低いバンドが演奏する事になっている。これも、僕たちが目立つための布石である。なかなかウチのマネージャーも曲者である。
とにかく、幕は上がってしまう。歌詞の方は前の方が大体覚えたのだが、中盤はまだおぼろげで、最後のほうはボロボロである。こうなったらマイクが故障したふりをして口パクで行くとか、急性扁桃腺炎で声が出ないという事にしようか。
人間というものは、無限の可能性を持っているものだ。あれほど覚えなかった歌詞が、舞台に立ったとたんにスラスラと出てきたではないか。火事場の何とやらというべきか、やっぱり、僕って天才?
2002年11月30日 アンクル・ハーリー亭主人