駅から登山口まではほんのわずかな時間だった。登山口にある簡単な地図を確認し、わたしはK山を登り始めた。特にこれといって動機のない山歩きを本当にたまに出掛けたくなる。いつも同行してくれるS氏は体調を崩したとかで単独行になった。しばらく上ると道は沢に沿って登る。そのせせらぎは、涼やかな音をたてて流れていた。木漏れ日が柔らかくその流れをきらめかしている。わたしは流れに手を入れてみて、その冷たさをはっきりと認識し、その流れの上の方向にそびえる山の頂きを見つめ、山肌へと視線を降ろしていった。雑木に覆われた山肌は奇妙な凹凸を繰り返しながら頂きへと続き、山道を隠している。

 これから登りにかかる山道は、やがてせせらぎから外れうっそうとした雑木林に中に続いているのだった。転瞬、せせらぎの音を掻き消してセミの鳴き声が耳に帰って来た。茂った葉が風にゆれ、木漏れ日を瞬かせる。わたしはゆらりと立ち上がり、山道を登り始めた。

 木々に覆われているように見えた山道だが、登るほどに漏れてくる日差しが強くなり、背を焼く。山の頂きが見え隠れするうち、道はわずかな広場に出た。左がおそらく谷に下りる道なのであろうか、道がつづら折になって下っている。右の道は急な登りになって山頂に向かっているのだろうか。

 谷から吹き上げる涼風に体をさらしながら、吹き出る汗を拭いしばらく呼吸を整えていると、何度も鳥の声を聞く。時間が止まったような感覚にしばらく呆然としてしまった。

 休息を終え、登り道を行く。ほんのわずかで急坂になり、木が傾斜地にしがみつくように根を張っている。そのうねうねと地面から露出した根を足がかりにして、大股に高度を稼いで行きずいぶん登ったと思われる頃に、また道はゆるいのぼりに変わる。

いつのまにか、山道の両側に生えている木はずいぶん背の低いものになり、視界が開け、日差しは強くなる。時間ももう正午近くになったようだ。わたしは足を止め、眼下に見えてきた町並みに目をやり、自分が登ってきた高さを確認した。登る前に見上げた高さと見下ろしたときの高さでは、数倍も高く感じられる。頂上まであとどのくらいだろうか。見上げればすぐのところに頂上があるようで、登って行くとまだ先がある、そんな事を4、5回繰り返したろうか、突然に360度視界が開けた。わたしには、頂上だ、という達成感とやれやれという安心感が綯い交ぜになって感じられた。

頂上にはぶなの木が3本、並んで立っていた。休憩に程よい日陰を提供してくれる。時間ももう午後2時近く、この頃の日暮れは早い。握り飯と漬物の簡単な昼食を済ませ、下りにかかる時間ぎりぎりまで木陰で足を休めた。

一瀉千里に駆け下りる、という歳でもない。足元の明るいうちにせめて登山口まで下りる事にした。登りでは気が付かなかった様々な物、木の葉の形、クモの巣、枯れかけた木立、きのこの群生、などがしきりに足を止めさせる。常ならぬ物に会いに来たとでも言おうか、わたしの日常から最も遠い、孤独が癒される1日ではあった。

         2002年9月28日 アンクル・ハーリー亭主人

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2002.9.28掲載