上空が瞬く間に黒い雲に覆われたかと思っているうち、空から大粒の雨が落ちてきて、たちまち俺のユニフォームをずぶぬれにし、グラウンドもそこここに水溜まりが光り出した。主審が大声でベンチに戻るよう叫ぶ声もカミナリに遮られ聞こえなかった。それでも俺は3塁側ベンチに向かって2塁ベースを蹴っていた。
一昨日から連投していた俺の肩とひじは、試合前から悲鳴を上げていた。もちろん、悲鳴を上げて逃げられるものなら逃げたい、と試合前のウオームアップの時から思っていた。
元々、全くの自己流のフォームでピッチングをしてきた上に、大会前に胃炎になって、ほとんどトレーニングをしていなかった俺の体とチームにとって、東京都予選準決勝まで勝ち上がることさえ奇跡だったのだから。
今日のゲームは、3点を追う我々が9回の表2死からヒットと死球で1、2塁と攻め、俺が右中間を抜く走者一掃の二塁打を打ち、1点差に迫っていた。そこに激しい雷雨が降ってきたのだから、チーム内の動揺は隠しようが無かった。薄暗いダッグアウトの中で誰もが目ばかりを光らせていた。
俺は、神に祈ろうかと一瞬思ったが、我々が準決勝まで進んだ事自体が神のいたずらだったような気がして、体を拭う事に専念することにした。沈黙が重くなりすぎてきた時、マネージャーの田所がダッグアウトに飛び込んで来るなり叫んだ。
「大丈夫だ、後10分ほどで雨は止むから、大会本部は試合続行の方針だ。」
従兄弟が新聞社にいる関係で田所はその情報を得たと言う。そう言えば雨の降りかたが弱くなりバックスクリーンの向こうの空が明るい。俺はまた、ゆっくりと痛む肩の汗を拭った。
10分後、アンパイアのプレイボールの声で試合は再開した。充分に水を吸った神宮第2球場の砂は油断すると足を取られそうだ。
相手ピッチャーもグラウンドシートがかけられていたとは言え、ぬかるんだマウンドで投げにくそうにしている。2球続けてボールの後、矢島はバット振ったが1塁線へのファールだった。その時バッターボックスを外した矢島と目が合った。おれは小さくうなずいた、それで矢島には通じるはずだった。投手が4球目を投げると同時に俺はスタートを切った。
賭けだった。しかし矢島もその球を見逃さずに打って出た。打球は一二塁間の方向に飛んで行く、俺は3塁コーチが腕を回すのを見て3塁を蹴った。3塁を回ったところで打球の行方を見ると打球は右翼手が取る所だった。水を含んだ重いグラウンドを蹴りながら、俺は走った。ホームベースは遠くに見えたが、突っ込む他に選択は無かった。
相手のキャッチャーは俺が4m手前に行った時、腰を落として捕球体勢をとった。しかし、キャッチャーの目はまだ遠くを見ている。俺はキャッチャーの足の間に右腕を押し込むようにヘッドスライディングをしていた。瞬間、キャッチャーが捕球した。俺はホームベース上にふせたままアンパイアのコールを聞いた。
「アウト!ゲームセット!」
試合は終わり、おれはユニフォームの泥を落とすのも忘れてスコアボードを見上げていた。右肩の痛みに気がついたのは横に転がっていたヘルメットを拾い上げたときだった。
2002年8月31日 アンクル・ハーリー亭主人