前略、僕もそろそろいい歳をこき始めましたが、みなさんはいかがでしょうか。いい歳も僕ぐらい激しくこいてきた場合、自分の来し方を振り返りたくなるものです。

 僕の子供の頃を真摯に、正直に思い出し、以下に記します。

 まず、特筆すべき点は、僕の学業についてです。特に、卒業に当たっては、幼稚園から大学まで、常に首席で卒業した人と一緒に卒業してきたことです。その他、大学を卒業後、会社を創業して、大成功をした事がある人と一緒に卒業しているかも知れません。なんと言っても、ちゃんと僕の名前入りの卒業証書をもらっている点に注目すべきです。いや、自慢するわけではありませんが。(謙遜してもいない)

 幼稚園においては、M君というその後、プロ野球某ライオンズのエースになった男の子と短距離走の双璧と呼ばれた事がありました。しかし当時、僕は肩に違和感をおぼえ、野球の道を断念した。日本の野球界にとっては大きな損失です。いや、メジャーリーグにとっても損失であったと思われます。

 小学生では、ボウリングがブームになりまして、僕もよく投げました。300点を何回も出しました(4ゲームの合計など)。しかし、これも次第に、肩に違和感をおぼえて、断念するに至ったのです。断念するのが早いのが僕の特徴です。

 その後、足が速い(遅刻しそうなときなど)のとボールを扱うのが上手だ(傘の上で回すのが得意)ということから、バスケットボールこそ我が天職ではないか、もしや、マイケル・ジョーダンの再来では、と言われるかもと思いましたが、当時、マイケル・ジョーダンはまだ幼児であったので、注目度は低かったようです。

 結局、スポーツ界にとっては非常に残念ながら、僕は全ての競技をあきらめ、1学究の徒として生きるに至りました。最近になって自分の体型を見て、相撲という選択肢もあったかななどと思ったりしています。

 しかし、この頃では、全身くまなく、違和感を覚えるのが日課になっていますので、スポーツには向いていないようです。

 同じように、芸術方面でも、幼稚園では前出のM君と、学芸会で日本舞踊を踊り、満員の観客の紅涙を絞ったことがあります。このときに日本舞踊の奥義を極め、その後、もっぱら盆踊りなどで活躍しております。

 また、小学校、中学校と演劇の素養を発揮して、学芸会の劇の主役と同じ舞台を掃除しました。また、劇中劇の演出家の役を見事にこなしたことは、誰も覚えていません。

 残り少なくなったスペースで、音楽の業績を語らなくてはならないのが非常に残念ですが、語るほどの業績が無いことがもっと残念です。わずかに、語るべきものがあるとすれば、あのビートルズが武道館で来日公演をした時に、テレビで見た、ということぐらいでしょうか。不思議な事ですが、ビートルズとは、それ以前にも、エド・サリバンショーに出演したのをテレビで見たという縁があります。

 また、僕はまだCDを売り出していませんが、これは、生前のプレスリーやジョン・レノン、グレン・ミラーと並ぶ記録です。(みんなCDが無かったということですが)

         2002年8月24日 アンクル・ハーリー亭主人

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2002.8.24掲載