前略、大きな事を言うようですがアンクル・ハーリーといえば、全世界のブルーグラス界でも……私1人でありまして、っていうのは春風亭柳昇師が使うつかみのパクリですが、一度ライブのMCで使ってみたくなる、オヤジ度の高いくすぐりだと思うんですがいかがでしょうか。やはりオリジナリティーの点で問題ありでしょうかね。
ハーリーって名前はバンドのメンバーたちに強制的に押し付けられた名前です。もっとも、普段からハルちゃん、ハー坊と呼ばれていましたから致し方ないかと。でもってハーリーの前にはアンクルが座りが良いと。たったこれだけの理由でその後30年間アンクル・ハーリーをやってきた訳です。ハンサム・ハーリーでも座りは良いと思うんだけども、別のメンバーにハンサムは取られちゃったんです。もっとも、彼の方がハンサムというアイロニーが似合うと言う事ですね。僕もこれには折れざるを得ない。本当にハンサムな人間をハンサム・ハーリーとは呼びにくいわけです。(おひょひょ)
それから、ハリーじゃなくてどうしてハーリーなんだ、ともよく聞かれますけど、それを聞いてもらう為にあえてハーリーとしたのでした。この辺は、メンバーのグッドアイデアでしたね。ハリーじゃありふれていますからね。ハーリーのスペルの harllyも、その時に決めました。サインを考える都合上、スペルははっきりさせませんと……。まだ、サインをしたことは数えるほどしかありませんが。
自慢じゃ有りませんが、我らがバンド「New Poor Vallry Ramblers」(略して N.P.V.R.)ほどライブ活動時間に対する練習時間の比率が高いバンドは無いと思います。はっきり言うとライブ活動時間が少ないということですけれども……。年間に数時間のライブのために費やした練習量といったら膨大な時間です。どのくらい膨大かというと、かのジョージ・ルーカスが「スターウォーズ・エピソード1」の上映時間と実際に費やした撮影時間との比率に匹敵するんじゃないかと思います。(少しも具体性のないたとえですけど)
まあ、言葉に表せないくらい練習したのが我々のバンドでした。もっとも、実際に音を出している時間より、ジョークを飛ばしている時間が長かったような気もします。と、言っても僕らのライブも演奏時間と僕のMCとどちらが長かったかな、というぐらいのものですので、それなりに練習もしっかりやっていたと言うわけですね、きっと。
高校卒業時から大学入学時にかけて、はじめたブルーグラスバンド活動ですが、始めはたった2人のスタートでした。その後、高校の後輩や大学の友人を言葉巧みに誘い込み、最大5名まで増えました。しかし、人数が増えるとなかなか練習に集まるのも難しくなり、メンバーが社会人になり、家庭を持つようになると、バンドの継続も難しくなってしまいました。
バンドのメンバーの結婚披露宴などで演奏したのを最後に、人前で演奏する機会が無くなり、それでもごくたまに気が合った時に誰かの家で昔のレパートリーを演奏することが続いていましたが、それもここ10年ほど有りません。
定年後の楽しみになってしまうのかなぁ、となんとなく寂しい harllyです。 2002年7月6日 アンクル・ハーリー亭主人
|