前略、私の手元に1枚の写真があります。先日私が東京の生家に行った際に父が渡してくれたものです。引越しの準備で荷物の整理をしている折に見つかったもののようでした。
縦長のその写真は、1人の少女が憂いを含んだ表情で、カメラに対して45度ほど横に向いてベンチに座っている姿が画面の下半分を占めています。背景には横浜ランドマークタワーが少女を抱くように写真のフレームいっぱいにそびえ立っていて、なかなか素人離れした構図ではあります。
写真の日付を見ると、横浜博が終わり、ランドマークタワーが完成した日から、それほど日を置かずにこの写真が撮られた事を示しています。今から10年ほど前の日付です。少女の名はA子、私の長女です。この写真は父が、当時登校拒否(今は不登校というんだそうですが)をしていて、学校に行かずに1人で留守をしているA子を、横浜のみなとみらいに遊びに連れて行ってくれた時に写した物だと言うことでした。その時に、ちょっとしたいたずら心で、A子をモデルにしてみたそうです。父は、若い頃写真に凝り、子供の頃の私などを写す際にも、ちょっとしたポーズを付けるのが常でした。
この写真の頃から10年が経ちました。長かったといえば長かったような気もしますが、今となってはこれといって思い出すことも有りません。
ただ、この写真の少女の暗い目が、当時の彼女の状態をはっきりと物語っているような気がします。自分でもどうにもならない悲しみが(僕の気のせいかもしれませんが)感じられます。こんな表情が5年ほど続きました。その頃の話を書けるといいのですが、まだ書く時期ではないと思います。そのうちに、娘の許可が下りたら書いてみたいと思っているのですが。
現在、娘は社会人として医療関係の国家資格を取り、個人医院で働いています。自分の性格に合いそうな職場を自分で見つけてきました。今は仕事を覚えるのに一生懸命で、毎日張りきって通勤しています。不登校児だった事など微塵も感じられません。彼女が変われたのも、彼女自身の努力もさることながら、周囲の励ましや協力が有っての事でした。
彼女が変わったのはその2年後に市が運営している中学生不登校児のサポートクラスに通うようになってからでした。市の予算緊縮のあおりを受けて、今は無くなってしまったクラスですが、彼女は始めこそ、通うのを渋ったりしていましたが、すぐに友達が出来ると、毎日元気に通うようになりました。……お勉強はあまりしませんでしたが。
その頃、サポートクラスでどんなことをしていたのか、僕はあえて聞くことをしませんでした。もちろん、彼女からその日に有った出来事を聞く、という姿勢だけは一貫して保ってきたつもりですが。
始めの頃はあまりクラスの話をしなかった娘でしたが、やがて少しづつ友達や先生のことを母親に話してくれる様になると、勉強にも興味を示しはじめる様になりました。
サポートクラスでは、勉強の他にも人間関係の経験をたくさん積んだのが、彼女の財産になったことは否めませんが、この写真のように何年も辛抱強く支えてくれた祖父母をはじめとする周囲の人に感謝をしたいと思わずにはいられません。
2002年6月15日 アンクル・ハーリー亭主人