前略、あの時貴女に偶然出会っていなければ、合理主義者の僕は「偶然」というものを今も信じないまま、寂しい人生を送っていたことでしょう。19歳の時の、あの偶然の出会いに始まった貴女との数ヶ月の日々から、僕という人間が本当の意味での大人になれたと思っています。
あの日、僕は午後の講義をエスケープして、御茶ノ水の楽器店でマンドリンの弦を買って家に帰る途中でした。電車を乗り換えるためにホームで待っていた僕の前に逆方向へ行く車両が止まりました。何気なしに視線を上げた僕の目の前に貴女がいましたね。
気の利いた挨拶も出来ないで立ち尽くしていた僕のところに、貴女は「えいっ」という感じで電車から跳び下りて来ました。いつもFさんの後ろに隠れているようにおとなしかった貴女が、そんな風にお転婆に振る舞うのをみて少し驚きました。
正直に言うと、初めて会った16歳の時から君のことが気になっていて、何かと言うとFさんと貴女を誘って、僕たちはグループ交際をしていましたね。でも、当時の貴女はAのことが好きで、僕はほんのおまけだったようでした。
大学受験をはさんで1年半ぶりに貴女に偶然会ったわけだけど、まさかそれが結果的に最初のデートになるとは思って見ませんでした。大学生になった僕は、貴女に臆せず話せるくらいの成長はしていたわけです。
聞けばこれから御茶ノ水に行くとのこと、僕もそうだ、偶然だねと言いながらもう一度御茶ノ水に僕も行くことになってしまったのでした。楽器店のお兄ちゃんの不思議そうな顔を無視してマンドリンの弦をもう1セット買ってから、君のスキーウェアを選びました。スキーの話をしているときの貴女は輝いていました。あのときほど僕はスキーを真面目に習っておけば良かったと思ったときはありません。君もおとなしい女子高生から同好会系の大学スキー部員に変身していたわけでした。
それから何度かのデートを経て、結局は別れる事になってしまったけれど、決して後味の悪い別れではありませんでした。それは、最後に多少つらい思いをお互いにしたけれど、またこうして貴女と手紙のやり取りが出来るようになりましたね。
そして、今回手紙を出すことになったのも偶然からでしたね。きっかけは僕の生まれた家の引越しからでした。引越し先の家をリフォームした大工さんが、以前あなたの家に勤められていた方で、僕の名前を覚えていたとのこと。
お嬢、と呼ばれていた貴女の元彼氏の姓を忘れずにいたわけでした。案外、僕のことを怪しい、と思われていたのでしょうか。
それにしても、大工さんから貴女に連絡が行って、しかも手紙をもらうとは思いませんでした。しかもイタリアから。エアメールの手紙なんて何年も受け取ったことがありませんでした。
メルアドを教えていただいたので、今度はメールも書きます。良かったら僕のHPにも来てみて下さい、相変わらずバカをやっていますが笑ってもらえたらと思います。
僕の病気の方は、順調に回復中です。検査をするたびに状況が良くなっています。
それでは、また。今度はメールを書きます。お仕事が順調に進むことを願っています。
2002年5月25日 アンクル・ハーリー亭主人