前略、毎年200冊を目標に読書をしてきましたが、最近3年にわたり目標値を1割近く下回りました。体調が悪かったせいもありますが、あまり読みたいと思う本が無かったことも原因の一つです。ところが今年は、4月中に80冊は読破できそうです。単純計算でも年間240冊行きそうなペースです。これは1996年に254冊を読んで以来の数字です。
この好調さ(好調というのかどうか)は、いつもの作家以外の、今まで読まず嫌いでいた作品を読むようになったのが原因だと思います。特に、ここ数年、厚い本が多く出版され、読む段階にまで行かないで、挫折することが最近多かったようです。いざ読もうかと思っても、厚さとディテイルの描写のしつこさについギブアップしたことが多いからかもしれません。
これまで休日に数冊まとめて本を読む習慣が有ったのですが、家庭サービス(実は僕がサービスされているようです)に時間を割くようにしているので、丸々1冊も読み切れなくなりました。友人ともごくたまにですが、会って色々と陰謀(誰を飲みに誘おうかなど)をめぐらしたりと、僕にはかつての読書人の面影が有りません。
それでも、なぜか毎月数えてみると読んだ本の数が20冊を越えているようで、不思議な気がします。どうしてだろうと考えてみましたが、ひとつには昔読まなかったジャンルの小説を読むようになったことがあるのかもしれません。
その代表がハードボイルド系の作家の作品で、今は大沢在昌に凝っているところです。
きっかけは「らんぼう」という数年前の作品なんですが、型破りの2人の刑事が文字通り「らんぼう」に事件を解決する、というどちらかというと「お笑い」の要素の多い作品でした。
大沢在昌=新宿鮫という先入観があった僕は、目からうろこが落ちたような気分で読み、大沢氏の出世作「感傷の街角」を購入することになったのでした。「感傷の街角」の主人公「佐久間公」は人探し専門の私立探偵であるが、なぜか殺人事件に巻き込まれ……。という話である。20年近く前の作品なので風俗描写は古いが、話自体は新しい、ような気がする。新宿鮫の舞台になっているこの頃の新宿が異常すぎるのかもしれない。
というわけで、この頃大沢在昌や生島次郎、など20年前頃のハードボイルド系の小説にこの頃、嵌っています。まだ、読んだことの無い作家がたくさんいるものですね。僕の方で読まず嫌いをしていただけでしたが。
僕は、性格が悪いせいか、はやりのものはとりあえずパス!というタイプなんですね。ですからこの頃はやっている、いわゆるホラー小説は手に取る気がしません。かなりの大家もホラー物を書いているようですが、これらのホラー小説を手に取るのはこれから20年後になるのかもしれません。
そういう具合に考えてみると、僕はただ単に流行遅れの頑固親父でしかないのじゃないかと、気が付いてしまう今日この頃ではあります。そして、もっと悪いことに、頑固親父のどこがいけないのだ、と開き直っているのでしょうか。
2002年5月4日 アンクル・ハーリー亭主人