「ミュージアム・シティ・天神 1996」テーマ
[光合成]

 「光合成」とは、植物が、二酸化炭素を吸収し酸素を放出する過程で、 光エネルギーを化学エネルギーに変え、炭水化物を作り出す作用のことをいいます。
この光合成は、生物の食物連鎖の出発点になるエネルギーを生み出すという意味で、 その過程は目には見えませんが、人間がどんなに文明を発展させようが、 また人間を含む生物の生きる環境がどんなに人工的な都市に変わっていこうが、 光合成が依然として私たちの生存のために不可欠の作用であることには変わりありません。

 植物といえば小さな公園や人工的な並木、あるいは空き地の雑草くらいしかないような 都市の中にさえも、実は、光合成と同じような、様々な見えないシステムが働いています。
交通や商業活動は今では天神という町を特徴づける要素ではありますが、 それだけでは人が生き集まり活動する場所にはならないのです。
どんなに巨大で頑丈なビルも、熱や空気や光を伝えたり保存する工夫なしには、 その中では人が活動できません。
人間の生存に必要な自然環境、飲食やトイレなどの設備やそれを支える産業のほか、 建物や道路などのメインテナンス、金融や通信や情報の交換のための機関なしには、 都市という森はすぐに砂漠になってしまうでしょう。

 1994年のミュージアム・シティ・天神 '94が「都心」と「郊外」が相互依存しながら 成立していることを示したように、天神の中でも、人と車、道と建物、お店とオフィス、 機能と遊びが互いに相手に何かを与え、相手から何かを受け取るという相互依存の システムがあってこそ、都市のあらゆる活動は安定しつつ刺激的な姿を見せているのです。
それはあたかも、植物と動物とが、食物連鎖や、大気や大地との化学反応を通して つながりあって生きているのにも似ているのです。

 植物は自ら動いたり身を守ることができない点で弱い存在です。
動物もまた、野生の鳥や虫も、また家畜やペットさえも、都市の中では徹底して排除され、 片隅に追いやられ、あるいはささやかな並木やペットショップで観賞用・愛玩用に 生きながらえているだけです。
それによって植物が本来持っている光合成という働きの重要さが忘れられていきます。 昨年の阪神大震災やオウム事件が露呈させたのは、都市のシステムのもろさと、 生物としての私たち自身のもろさではなかったでしょうか。

 あらゆるアートが本来持っている力――自然からエネルギーを得て、 人間が放出するものを吸収しながら、人の精神の糧となるエネルギーを生み出す力は、 排除され、弱められ、人間の愛玩物・都市の装飾物としてだけ存在している現状。
それに対し、美術に「光合成」の力を回復させること。
美術によって、都市の中に隠された、しかし不可欠のシステムを明らかにすること。
美術館やギャラリーや個人の部屋に閉じこめられた美術作品を、 風通しと日当たりのいい場所に連れ出し、あたか植物と動物が、酸素と二酸化炭素を交換するような、 見る人との豊かで創造的な相互関係をとりもどすこと。
それが「ミュージアム・シティ・天神 '96」のテーマです。


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