ゲーム論


テレビゲームはパズルである


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●  クイズ、パズルとの違いを別な項で述べた。 大きな違いをもう一度言うと、パズルとは、「正解(終了)があってそれを見つけるのが目的」である。 例えば、クロスワードパズル、ルービック・キューブ、ジグソーパズルといったものを思い浮かべていただきたい。 毎回手順は異なるかもしれないが、最終形・完成形は決まっている。 それにたどり着いたら勝ちであり、たどり着けなければ負けである。 誰に対して、と言えば、これはパズル作者であって、パズルの場合、勝負は作者対回答者になる。 その勝負はリアルタイムではなく、回答者が解いている間に制作者・出題者は手を出すことはできない。 一つのパズルを複数の回答者がどちらが先に解くか争う場合でも、勝負が出題者対回答者であることには変わりはない。

 ゲームの特徴は、制作者は加わらず、参加者間で勝敗を競うことにある。 その結果、つまり、誰が勝つかは「誰も−プレイヤーも製作者も―−先がわからない。結末が固定でない。」ということにある。 複数の人間が同時に事に当たり、参加者間で利害関係は相反し、勝者は一人である。

 だからゲームは「展開が様々な要素でリアルタイムに変わる。」 そのため、状況に臨機応変に対応する力、読む力が付く。」のである。 また、人間がするゲームは全員が主役である。全員が勝とうとし、一人だけが勝つのである。

 テレビゲームの特徴はゲームよりもパズルに近い。

 まず、プレイヤーは一人である。 プレイヤーの敵はゲームに現れるものであり、これは作者の制作物である。 制作者はゲームを作ってしまった後の手出しはできない。 ゲーム中のプレイヤーの行動に対するリアクションも、全てはプログラムされたものである。 このためテレビゲームはプレイヤーが主役で、自分が勝つまでやることができる。 また、何度もやることができるし、時間制限が無い。 だから、結果は決まっている。プレイヤーは絶対負けない。 複数の人間がプレイしても一人一人のプレイヤーがみんな主役である。 最終的にはプレイヤーに勝つ道があるのがテレビゲームの大きな特徴である。

 つまりテレビゲームは、人間対人間ゲームが持つ有用性を持っていないのである。

 電子ゲームの売上が減っている、あるいは、売れるゲームが決まってきている、という指摘があるらしいが、当然のことだろう。

 従って、これからのゲームは機械を間に置いた人間対人間のゲームが主流となるだろう。 対戦ゲームの面白さは人間対人間の面白さになってくるだろう。 その中でも基盤は電子機器、だが相手は人間という図式である。 それを一ヶ所に集まらずにプレイすることができるネットゲームが主流となるだろう。
 だが、その相手は実は人格でない。 無味乾燥な言葉や絵に置き換えられているのだが、これは別項で述べる。


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