ゲーム論コーナー


ゲーム屋の時代だ


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ゲーム屋の時代だ

1.大昔、運動屋の時代があった

ヒーローはスポーツマン。
文系が暗いというイメージは無かったが目立たなかった。
とにかく体力。根性。努力すれば道は開けた。
頭なぞどうでも良かった、というわけではないが、 頭を鍛えているヒマがあったら、体を動かしていれば何とかなった。

2.昔、クイズ屋の時代があった

高度成長期だった。
頭が良い=知識がある、だった。
テレビはクイズ番組が百花繚乱となった。
何でも知っている人間は偉かった。
どこにも可能性があった。何か新しいことをやればどうにかなった。
だから無駄な知識は無かった。
詰め込みで十分だったし、詰め込んだ人間が凄く見えた。

3.少し前、パズル屋の時代があった

バブルがはじけた。
詰め込みは無駄になった。
頭の回転が必要だった。
余計な知識はいらなかった。
不要な知識を詰め込むクイズ屋には、必要なときに必要な知識を出す力は無かった。
せいぜい疲れた頭を休めるために不要な知識で笑いを取るぐらいだった。
余裕は無くなった。
ストレートな答えを論理的に出す力が求められたが、クイズ屋には出せなかった。
クイズ番組は次々と姿を消した。
クイズ屋が専門化しすぎ、大衆と差がつきすぎたことも理由の一つだろう。
高校や大学にクイズ研ができ、重箱の隅をつついたような問題を作って出し合い、早押しを競う。
もはやクイズ番組は大衆の目からはつまらないモノになっていった。
クイズ番組は素人のクイズオタクより、馬鹿な芸能人を出したヤラセの方が視聴率が取れた。
クイズ番組はパズル風番組になっていった。
でも真面目なパズル番組は面白くなかった。
タレントが皆パズル屋ではなかったから。

4.そして今・・・

先が見えない時代。
クイズ屋は答えを覚えることには強かったが、知らないものの答えを出すことはできなかった。
パズル屋は答えを出す手順がわからなければ答えが出せなかった。
ゲームは先がどうなるかわからない。答えはもちろん、展開もどうなるかわからない。 そこを読むのがゲーム屋の感覚だ。
これからはゲーム感覚が必要なのだ。 だから、これからは、ゲーム屋の時代だ。

だが・・・。
スポーツ屋はスポーツに強かった。
クイズ屋はクイズに強かった。
パズル屋はパズルに強かった。
しかし、ゲーム屋はゲームに強いとは限らない。
単に遊ぶことが好きなだけの人間も多いのだ。
真のゲーム屋は、実は少ない。
だから、ゲーム屋の時代だとは思うのだが、本当に来るという保証は・・・・



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