ゲーム論


ゲームとは何か(2)

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 ゲームと混同して用いられるものに、クイズ,パズルがある。 これにギャンブルを加えて、ゲームとの違いを述べてみよう。

●クイズ

 クイズは出題者と回答者、1対1の争いである。 本などに掲載されるもの場合、回答者が不特定多数だし、テレビ番組の場合でも回答者が多数いる場合が多いが、 形の問題であって、基本的な図式は変わらない。 答え、つまり正解が存在していて通常一意に決まっている。 もっとも「1日は24時間である。○か×か」というように、どちらとも言えない (一般には○だが厳密には×)ものもある。 こういうのは問題として不適切であり、きちんと一つに決まるよう条件をつけるべきだろう。
問題が出来あがった後は出題者は何も出来ない。 従って出題と回答は時間的、物理的に離れていても構わない。 昔に作られた問題を、現代人に考えさせることも可能である。
 クイズの大きな特徴は正解を知らないと答えられない(勝てない)、ということである。 他の知識から類推することはできない。 たとえどんな広範な知識を持っていても、今出された問題の答えを知らなければ正解できないし、 他に何を知らなくても、唯一知っていることがその問題の答えでも、勝つことができる。 一万の問題に答えるには一万のことを知らなければならないということである。

1年後の総理は誰でしょう?というような予想は「当てもの」である。 「優勝チーム当てクイズ」などもそうである。これらは正確にはクイズではない。 しかし「2100年の1月1日は何曜日?」という問題は未来のことだが、決まっていることなので当てものではない。 もっとも回答時間が短ければ当てものということになるだろう。クイズにも当て物にもなり得る。

ちなみにクイズとは本来謎である。 「なぞなぞ」(英語だとriddleになるのだろうか)というのがある。 例えば「目が3つで足が一本、なあに(信号)」といったものである。 一度聞いて問題と答えを覚えているなら別だが、こういうものは記憶からは直接出て来ない。 頭の回転やセンスといったものが必要であり、どちらかといえばパズル的思考に近いように思う。

●パズル

 パズルも出題者と回答者、1対1の争いである。 これも答えは決まっている。 クイズとの大きな違いは、直接答えを知らなくても、やり方を知っていれば導き出せるということにある。 極端な例だが、1+1、1+2、1+3を別々に覚えるのがクイズ、足し算のやり方一つを覚えて解くのがパズルということになる。 クイズ同様問題が出来あがった後は出題者は何も出来ず、開始後の変更はおきない。

 「クロスワードパズル」というのがある。 本来ヒントだけではわからないものが、他の言葉が出てくることによって、1文字2文字のヒントが現れ解けるようになるものである。 ところが最近はヒントだけで答えがわかってしまうものが多い。 これはパズルではない。しかし、今、見かけるクロスワードはほとんどがクイズである。少し情けない。

 パズルでも、やりかた(解法)がわかりやすいと作業になってしまう。 「ジグソーパズル」というのがある。いろいろな形のピース(駒)をはめ込んでいくものである。 頭を使って解法を見つければできるが、そうでなければできない、というものではなく、根気よく捜していかなければならない。 このようにやり方がわかっているものは、作業でしかない。迷路も同様である。 早く終えるコツというものはあるが、画期的に解決できる方法はない。 どんなに難しいものも、解法を知っている者にとってはただの作業でしか無く、もはやパズルとは言えない。

●当てもの、ギャンブル、賭博

 わかっていないことに対し、どうなるか、自分の予想を表明するものである。 チップ、金銭、物品を賭する必要は無いが、通常これらでは、勝った者負けた者のその度合いを示すものとして、チップや模擬紙幣を用いる。 わかっていないことは未来のことである必要は無いが、参加者全員が結果を知っていない、ということを確認する作業を省略するために未来のことが用いられ、また、大勢の目前で結果がわかるのが普通である。 一般にギャンブルは多くの人間の願望である「濡れ手で泡」状態に繋がるため、中毒性が高く、それ故、運営側の収益性も高い。 従って多くの国で法律で禁じる一方、国で運営していたりする。

●ゲーム

 クイズ、パズルと異なる点を挙げる。 ちなみにここで挙げるのは、人間対人間のゲームであって、コンピュータゲームではない。 これから挙げる理由により、「コンピュータゲームはゲームではない」という論もいずれ掲載するつもりである。

 ゲームでは答え、つまり結果は決まっていない。 また、その展開も決まっていない。方針はあるかもしれないが、往々にして開始後に変更される。 これがゲームの一番の違いであり、魅力である。
 もちろんゲームには種類が多数ある。運と技術のバランスによって様々に分けられる。 運の要素の無いゲームで実力差が大きければ、結果は歴然であって決まっていると言う意見もあるだろう。 運の要素の無いゲームで、一方が必勝法を知っているような場合もそうである。 だがそれはある条件の場合であって、本質は変わらない。



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