企画展展示会名:「東へ西へ−律令国家を支えた古代東国の人々−」場所:横浜市歴史博物館 期間:平成14年4月6日(土)〜5月12日(日) 博物館情報開館時間:9:00AM〜5:00PM(ただし、入館は4:30PMまで) 休館日:月曜日(4月29日、5月6日は開館)、4月30日、5月7日
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講演会情報4月14日(日)午後1時30分 4月28日(日)午後1時30分 場所:ともに講堂 その他は、公式HPで。 |
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講演会参加について今回は実は事前申し込みはしていなかったのですが、午後1時35分頃博物館に到着し、常設・企画展共通券を買い、入場拒否を覚悟で講堂の方に向かいました。しかし、幸いなことに申し込みなしの者にも、氏名・住所を書き講演会整理券(私は019番)をもらい、隣接する研修室において中継して見ることが出来ました。 視聴覚設備の重要性を初めて(失礼)認識しました。(違いは、会場の雰囲気を味わうことと質問する機会がありません。 しかし、机があるので資料を広げながら書き込みが出来て便利でした。) ちなみに、次回28日の講演会はちゃんとハガキを渡して申し込みしてきました。(笑) さて、内容については、6ページの配布資料に従って、遺構から読み取れる道路の説明をはじめに、 その道路で何が移動したか等を話していただきました。 東海道を使った、東国から都への @租庸調など税の貢納に関すること、 A防人に関すること、 B官人(中央・地方)の往来など について話していただきました。 面白かったのは、なんと今の中央と地方の関係(詳しくは記述得来ませんが、今話題の「名義貸し」や中央省庁の官僚が地方自治体の知事や幹部職員になることなど)に類似することが、すでにこの8世紀(実際は10世紀?)には行われていた可能性があることでした。 また、印象に残ったのは、貢納するとき(兵役に就く時も)、都までの運搬費用は、すべて納税者らもちで、ムラムラの人々だけで運脚(ムラの代表者)支えていたこと(官費などない)など、庶民への圧政をする当時の朝廷には憤りを感じますね。(ただし、歴史でも学んだ通り、班田収受を基礎とした律令制は奈良時代末には衰退した訳で(平安期には崩壊?)庶民のことを考えない制度は結局は上手くいかないものであることは、まだまだ希望が持てる。) さて、講演会の予定終了時間は午後3時だったのですがすべてしっかりした質問などに答えてくださり、15時25分近くまで延長して終了しました。 栃木、群馬の東山道に関する企画展との違いは、2者は主に道路遺構とそのルートについて画中心であり、今回の横浜は道路に往来したであろう人・物・情報に焦点を当てていることでしょうか。
企画展示についていつものように、展示についての感想を記します。小テーマ「郡家と国府」のところの墨書土器他出土物の展示については、遺跡配置図に墨書土器の出土位置を示して欲しかった。文章に書いてあることでも、視覚的・直感的に分かりづらい。 ただし、相模の国の国府推定遺跡の図面には記されていました。ただ少し小さく見づらいのが残念です。また、推定相模国府の変遷のように、時間軸を導入するとますます視覚的にわかりやすくしなければならず、そうすると図が多くなり展示場所のから問題が出てきそうなので、この点こそIT技術を活用すべきだろう。(予算が・・・) 感心したのは、平城宮跡から出土した「ものさし」で、ちゃんと目盛りをきってあることと、「東北経営と東国地域の負担 ・国衙工房の様相」のところに、陸奥国白河軍団の弓の射手に関する木簡の実物が展示されていることでした。 というのは、これは福島県立文化財センター白河館」での平成13年度第3回企画展「新編陸奥国風土記」の「白河軍団出動」の展示 において、その木簡の複製(だったと思う)があったのですが、テーマとしては 「新編陸奥国風土記」の方に本物が必要じゃないのかな・・・。 次に、「難波津から」のところの、古代難波景観復元図はカラーでわかりやすくてよかった。贅沢を言えば3DCG化できればベストでしょう。
さて、今回は講演が長引いたこともあり、「東北の城柵と東国地域」に入ったところで16時50分になってしまったので、次回28日に引き続いて見ることにしました。
さて、途中でも記述しましたが、ITを使った展示についてですが、「東へ」の方は、配置図や官ガの復元図もありよかった。
今回の展示のことではありませんが、各博物館の講演会・イベントなどがバラバラに行われていると日程が重なり、取捨選択しないといけない情況が生まれとても悩ましいので、少なくとも同一県内においては、重ならない配慮が望ましいと思う。 |