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三船敏郎さんプロフィール

1998/01/03作成
1998/01/06更新

ふりがな みふね・としろう
本名 三船敏郎(同じ)
生年月日 1920/04/01
没年月日 1997/12/24 77歳
出身地 中国・シャントン省チンタオ(父は秋田県出身)
職業 俳優、映画・テレビプロデューサー、三船プロダクション代表取締役社長
学歴 大連中学校(1938卒業)
家族構成 妻・吉峰幸子さん(元女優、1970年結婚)
長男・三船史郎さん(元男優)、長女・三船美佳さん(女優)
主な作品歴 主要出演テレビドラマリストはこちらをクリックして下さい。
出演映画作品
「銀嶺の果て」(1947東宝)
「新馬鹿時代 前篇・後篇」(1947東宝)
「酔いどれ天使」(1948東宝)
「静かなる決闘」(1949大映東京)
「ジャコ萬と鉄」(1949東宝=49年プロ)
「野良犬」(1949映画芸術協会=新東宝)
「石中先生行状記」(1950新東宝=藤本プロ)
「脱獄」(1950大泉映画=映芸協)
「醜聞(スキャンダル)」(1950松竹大船)
「婚約指環(エンゲージ・リング)」(1950松竹大船=田中絹代プロ)
「羅生門」(1950 大映東京)
「愛と憎しみの彼方へ」(1951映画芸術協会)
「悲歌(エレジー)」(1951映画芸術協会=東宝)
「白痴」(1951松竹大船)
「海賊船」(1951東宝)
「戦後派お化け大会」(1951新東宝=藤本プロ)
「完結 佐々木小次郎 巌流島決闘」」(1951東宝)
「馬喰一代」」(1951大映東京、ブルーリボン賞男優主演賞受賞)
「女ごころ誰が知る」」(1951東宝、ブルーリボン賞男優主演賞受賞)
「荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻」」(1952東宝)
「霧笛」」(1952東宝)
「西鶴一代女」」(1952児井プロ=新東宝)
「金の卵 Golden Girl」」(1952東宝)
「戦国無頼」」(1952東宝)
「東京の恋人」(1952東宝)
「激流」(1952東宝)
「港へ来た男」(1952東宝)
「吹けよ春風」(1953東宝)
「抱擁」(1953東宝)
「ひまわり娘」(1953東宝)
「太平洋の鷲」(1953東宝)
「七人の侍」(1954東宝)
「宮本武蔵」(1954東宝)
「潮騒」(1954東宝)
「密輸船」(1954東宝)
「男性No.1」(1955東宝)
「天下泰平」(1955東宝)
「続天下泰平」(1955東宝)
「男ありて」(1955東宝)
「続宮本武蔵 一乗寺の決闘」(1955東宝)
「生きものの記録」(1955東宝)
「(宮本武蔵)決闘巌流島」(1956東宝)
「黒帯三国志」(1956東宝)
「暗黒街」(1956東宝)
「愛情の決算」(1956東宝)
「妻の心」(1956東宝)
「ならず者」(1956東宝)
「囚人船」(1956東宝)
「蜘蛛巣城」(1957東宝、毎日映画コンクール男優主演賞受賞)
「嵐の中の男」(1957東宝)
「この二人に幸あれ」(1957東宝)
「柳生武芸帳」(1957東宝)
「危険な英雄」(1957東宝)
「どん底」(1957東宝、毎日映画コンクール男優主演賞受賞)
「下町」(1957東宝、毎日映画コンクール男優主演賞受賞)
「柳生武芸帳 双龍秘剣」(1958東宝)
「東京の休日」(1958東宝)
「無法松の一生」(1958東宝)
「弥次喜多道中記」(1958東宝)
「人生劇場 青春篇」(1958東宝)
「隠し砦の三悪人」(1958東宝)
「暗黒街の顔役」(1959東宝)
「或る剣豪の生涯」(1959東宝)
「戦国群盗伝」(1959東宝)
「独立愚連隊」(1959東宝)
「日本誕生」(1959東宝)
「暗黒街の対決」(1960東宝)
「国定忠治」(1960東宝)
「ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐」(1960東宝)
「男対男」(1960東宝)
「悪い奴ほどよく眠る」(1960東宝=黒澤プロ)
「サラリーマン忠臣蔵」(1960東宝)
「大坂城物語」(1961東宝、キネマ旬報男優賞受賞)
「続サラリーマン忠臣蔵」(1961東宝)
「用心棒」(1961東宝=黒澤プロ、ヴェネチア映画祭男優賞、キネマ旬報男優賞、ブルーリボン賞男優主演賞、日本映画記者会賞最優秀男優賞受賞)
「ゲンと不動明王」(1961東宝)
「価値ある男」(1961メキシコ映画・ロドリゲス、ブルーリボン賞男優主演賞、日本映画記者会賞最優秀男優賞受賞)
「椿三十郎」(1962東宝=黒澤プロ)
「どぶろくの辰」(1962東宝)
「続社長洋行記」(1962東宝)
「忠臣蔵 花の巻 雪の巻」(1962東宝)
「太平洋の翼」(1963東宝)
「天国と地獄」(1963東宝=黒澤プロ)
「五十万人の遺産」(1963宝塚映画=三船プロ)
「大盗賊」(1963東宝)
「士魂魔道 大龍巻」(1964宝塚映画)
「侍」(1965東宝=三船プロ)
「赤ひげ」(1965東宝=黒澤プロ、ヴェネチア映画祭男優賞、ブルーリボン賞男優主演賞、日本映画記者会賞最優秀男優賞受賞)
「姿三四郎」(1965宝塚映画=黒澤プロ)
「太平洋奇跡の作戦 キスカ」(1965東宝)
「血と砂」(1965東宝=三船プロ)
「暴れ豪右衛門」(1966東宝)
「大菩薩峠」(1966宝塚映画)
「奇巌城の冒険」(1966東宝=三船プロ)
「怒涛一万哩」(1966三船プロ)
「上意討ち −拝領妻始末−」(1967三船プロ=東宝、ヴェネチア映画祭フィプレシ賞、芸術選奨文部大臣賞受賞)
「日本のいちばん長い日」(1967東宝)
「グラン・プリ」(1967アメリカ映画・ジョエル・プロ=JFP・プロ=チェロキー・プロ、芸術選奨文部大臣賞受賞)
「黒部の太陽」(1968三船プロ=石原プロ、キネマ旬報男優賞受賞)
「連合艦隊司令長官 山本五十六」(1968東宝、キネマ旬報男優賞受賞)
「祗園祭」(1968日本映画復興協会、キネマ旬報男優賞受賞)
「太平洋の地獄」(1968アメリカ映画・セルマー・ピクチャーズ)
「風林火山」(1969三船プロ)
「栄光への5000キロ」(1969石原プロ)
「日本海大海戦」(1969東宝)
「赤毛」(1969三船プロ)
「新選組」(1969三船プロ)
「座頭市と用心棒」(1970勝プロ)
「幕末」(1970中村プロ)
「待ち伏せ」(1970三船プロ)
「ある兵士の賭け」(1970石原プロ)
「激動の昭和史 軍閥」(1970東宝)
「レッド・サン」(1971フランス映画・フィルム・コロナ)
「太陽にかける橋・ペイパー・タイガー」(1976イギリス映画・ユアン・ロイド・プロ)
「ミッドウェイ」(1976アメリカ映画・ミリッシュ・コーポレイション)
「人間の証明」(1977角川春樹事務所)
「日本の首領 野望篇」(1977東映京都)
「柳生一族の陰謀」(1978東映京都=東映太奏映画村)
「犬笛」(1978三船プロ)
「お吟さま」(1978宝塚映画)
「日本の首領 完結篇」(1978東映京都)
「赤穂城断絶」(1978東映京都=東映太奏映画村)
「水戸黄門」(1978東映京都)
「Winter Kills」(1979アメリカ映画・レナード・J・ゴールドバーグ=ローバート・スターリングプロ)
「金田一耕助の冒険」(1979角川春樹事務所)
「隠密同心 大江戸捜査網」(1979東京12CH)
「1941」(1980アメリカ映画・ユニヴァーサル=コロムビア)
「Inchon」(1980ワン・ウェイ・プロ)
「二百三高地」(1980東映東京)
「SHOGUN 将軍」(1980アメリカ映画・パラマウントTV、日本のみ劇場でも公開)
「制覇」(1982東映京都)
「日本海大海戦 海ゆかば」(1983東映東京)
「海燕ジョーの奇跡」(1984三船プロ=松竹富士)
「聖女伝説」(1985松竹富士)
「玄海つれづれ節」(1986東映東京)
「シャタラー」(1987渡辺プロ=フィルム・セレクト)
「男はつらいよ 知床慕情」(1987松竹映像、毎日映画コンクール男優助演賞、ブルーリボン賞助演男優賞受賞)
「竹取物語」(1987東宝映画=フジテレビ)
「春来る鬼」(1989アナック)
「CFガール」(1989エイジェント21=東芝映像ソフト=三井物産)
「千利休 本覺坊遺文」(1989西友)
「ストロベリーロード」(1991東京宝映テレビ=フジテレビジョン)
「深い河」(1995深い河製作委員会=仕事)
「ピクチャー・ブライド」(1996アメリカ映画)

プロデュース(製作)映画作品
「風林火山」(1969三船プロ)
「赤毛」(1969三船プロ)
「新選組」(1969三船プロ)
「待ち伏せ」(1970三船プロ)
「二人だけの朝」(1970三船プロ)
「犬笛」(1978三船プロ)

監督映画作品
「五十万人の遺産」(1963宝塚映画=三船プロ)

 写真師だった父親の関係で、少年期はチンタオ、ターリェンと移り住んでいましたが、1940年、中学卒業とともに徴兵により満州陸軍航空隊に入隊。航空隊では写真の経験・知識があるということで写真部に配属され航空写真を扱っていました。

 太平洋戦争敗戦時には故郷も身寄りもない立場となり、写真技術を生かそうと東京に上京。軍隊時代の知人宅に厄介になりながら職探しをしているとき、軍隊時代の仲間の大山年治さんが東宝撮影所の撮影部にいることを知り、カメラマンの助手になろうと、東宝に履歴書を提出したところ、「何かの手違いで」東宝第一期ニューフェイス募集に履歴書が廻され、人を食ったような面接で映画監督の山本嘉次郎さんの目に留まり、役者として補欠採用されることに。

 おりしもストライキで混乱していた東宝では終結後も主演スターに事欠く状態で、多くの新人スターが主役級に抜擢されることになり、三船敏郎さんも映画「銀嶺の果て」(1947谷口千吉さん監督、黒澤明さん脚本編集)で役者デビューを飾りました。

 その後「新馬鹿時代」(山本嘉次郎さん監督)での榎本健一さんの相手役での好演を経て、黒澤明さん監督による「酔いどれ天使」(1948)の主役に抜擢され、この作品の大成功により一躍スターになりました。その後は、「野良犬」「羅生門」「七人の侍」「隠し砦の三悪人」「用心棒」「椿三十郎」「蜘蛛巣城」など黒澤明さんの監督作品に1965年の「赤ひげ」までほぼ全作品に出演(1952年の「生きる」を除く全作品)。その後は黒澤明さんの演技指導としばし対立するようになり、三船プロダクションでの活動も増えたこともあり黒澤作品への出演はなくなりましたが、数々の黒澤映画に主演を積み重ねたことで、黒澤明監督が国際的に認められると共に三船さん自身も国際スターとして世界的に認められるようになり海外の映画にも数多く出演されました。また、スターになってからもロケなどの際には撮影隊の機材を一緒になって運ぶのを手伝ったり、付き人をつけないなど気さくな人柄で、豪快な外見の一方で繊細な気配りをして周囲からも親しまれていたと言います。

 1962年7月には三船プロダクションを設立し代表取締役に就任。1963年の映画「五十万人」(三船プロ、宝塚映画)以降、「黒部の太陽」などの映画のほか、テレビドラマにおいても1967年の「桃太郎侍」(NTV)以降、「荒野の素浪人」(NET)、「荒野の用心棒」(NET)、「無法街の素浪人」(NET)など一連の素浪人・用心棒をはじめ、「大忠臣蔵」(NET)など多数の時代劇・現代劇を制作・出演。このほか、CM制作も手がけるなど、多くの映像作品を生み出しました。また、三船プロダクションでは多岐川裕美さんや夏木陽介さん、竹下景子さんなども売り出し期に所属し、多くの俳優を擁し芸能プロとしても一大勢力を築きました。しかし、1979年、ワンマン体制に端を発した内紛で分裂、事業も大幅縮小を余儀なくされました。

 上記出演作品に対して各賞を受賞されたほか、第29回牧野省三賞(1987)、第6回川喜多賞(1988)、フランス芸術文化勲章(1989)、勲三等瑞宝章(1993)、日本映画批評家賞功労賞(1993)などの賞を受賞されています。

 三船さんは、1970年1月に、東宝第一期ニューフェイスで同期だった元女優の吉峰幸子さんと結婚されましたが、別の元女優・喜多川美佳さんとの交際が知られるところとなり、1972年1月から正妻の幸子さんと別居。喜多川美佳さんと共同生活を送るようになり、1982年、長女の美佳さんが喜多川美佳さんとの間に生まれました。

 その後、1992年に心筋梗塞で倒れたのをきっかけに、喜多川さんとの生活を解消して、正妻の幸子さんのもとに戻られました。その幸子さんも1995年死去。独りになった三船敏郎さんは、以降入院生活をつづけていましたが、1997年12月24日、全機能不全のため、東京・三鷹市内の病院で死去されました。77歳でした。喜多川美佳さんとの間に生まれた長女の美佳さんは1997年、女優デビューを飾っています。


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