テレビドラマデータベース トップページ

SINCE 1997/07/13

テレビドラマ人名録
TV DRAMA DATABASE

女優 男優 演出 脚本 原作

 

石井均さんプロフィール

1998/01/04作成

ふりがな いしい・きん
本名 石原 仁(いしはら・ひとし)
別名 高田 文吾(ペンネーム)
生年月日 1927/11/30
没年月日 1997/12/31 70歳
出身地 大分県豊後高田市是水町
職業 喜劇俳優、俳優
学歴 熊本逓信講習所(1943卒業)
主な作品歴 主要出演テレビドラマリストはこちらをクリックして下さい。
出演映画作品
「がめつい奴は損をする」(1961ニュー東映東京)
「べっぴんさんに気をつけろ」(1961ニュー東映東京)
「カメラ・トップ屋 お嬢さんが狙ってる」(1961ニュー東映東京)
「カメラ・トップ屋 お色気無手勝流」(1961ニュー東映東京)
「いいかげん馬鹿(1964松竹大船)
「吹けば飛ぶよな男だが」(1968松竹大船)
「ハナ肇の一発逆転」(1968松竹)
「ハレンチ学園 身体検査の巻」(1970日活)
「人生劇場」(1972松竹)
「鬼畜」(1978松竹大船)

 私立女学校の経営者の息子として生まれますが、戦時中に宮城まり子さんの舞台を見たことをきっかけに、子どもの頃から旅行が好きで、地方回りの劇団に入れば、全国を旅行できると考え、元来、明るい性格だったこともあり、軍役を経て、敗戦後、喜劇俳優として1945年10月、八幡市(現北九州市)の寿座で初舞台を飾りました。以降、大洋楽劇団、宮城千鶴子一座、春秋座、人間座と劇団を移りながら、旅回りの舞台を重ね、1948年には浅草・常盤座、1955年には新宿フランス座への出演がかかるまでになりました。

 1958年6月、戸塚睦夫さんらと「笑う仲間」を結成し、石井均一座を旗揚げしました。メンバーには戸塚睦夫さんをはじめ、伊東四朗さん、財津一郎さんらがいました。石井一座は、スラプスティックな喜劇で好評を博し「風呂敷婆さん」をもって浅草・松竹演芸場を主舞台に人気が急上昇。翌1959年には新宿・松竹文化演芸場に本拠を移し学生やインテリ層の支持を集めるようになります。評論家では長部日出雄さんが石井均さんを高く評価していました。

 一座はテレビでも中継されるようになり、また石井均さん個人は1961年の映画「がめつい奴は損をする」で映画デビューを飾りました。しかし、映画出演も重なり、つねづね「私は本当の芝居がやりたい」と語っていた石井均さんは、一座のドタバタ調喜劇を嫌ったのか、この年、突如として一座を解散させました。

 石井均さんは、大阪の曽我廼家十吾さんのもとに、弟子入りし、松竹家庭劇に入りました。このころ曽我廼家十吾さんは、渋谷天外さん率いる松竹新喜劇を脱退し1957年に松竹家庭劇を旗揚げしていたころでした。西川きよしさんがこのころ石井さんに師事しました。テレビでは「てなもんや三度笠」後半にも出演されました。このころの舞台の代表作としては「街燈」があります。

 1968年にフリーとなって、以後は舞台・テレビで松竹家庭劇の経験を経て味のある三枚目的好人物を演じるようになり、舞台劇「あかんたれ」、連続テレビ小説「繭子ひとり」(1971〜1972NHK)などで好演。また、1980年代に入ってからは金曜ドラマ「ふぞろいの林檎たち」の第1シリーズで柳沢慎吾さんの父親役を演じたことでも知られます。

 1997年12月31日、肺炎のため入院先の東京都内の病院で死去されました。70歳でした。

参考文献:日本の喜劇人(新潮文庫、小林信彦氏著)
日本映画俳優全集男優篇(キネマ旬報社刊)


無断転載はご遠慮ください。リンクはご自由に。

掲載内容については各自の責任において利用してください。当方では責任を負いません。

Copyright Furusaki Yasunari 1997

mailto:furusaki@j.email.ne.jp