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高橋悦史さんプロフィール

1996/05/19作成
 高橋悦史(たかはし・えつし)さんは1935年8月2日大阪府岸和田市の大工の一人息子として生まれました。

 地元の府立高校在学中、大阪にやってきた文学座の芝居を見たのがきっかけで新劇を志し、高校卒業後の1954年、大学進
学で上京して学生演劇に参加。出演だけでなく演出もこなしました。1958年、大学卒業とともに、NHK俳優養成所に入り、
1960年養成所卒業と同時にNHK専属の声優として契約し放送デビューをはたします。

 同時期には仲間と劇団三十会を結成していましたが、1963年には本格的に勉強をするために脱会し、文学座付属演劇研究
所に入所。1964年には研究所を卒業し文学座の研究生となりました。

 同じ1964年2月5日には宝塚歌劇の鈴鹿真弓さん(本名・山田光代さん)と結婚。その7月にはドラマ「徳川家康」(NET)
でテレビデビューを果たし、舞台でも「かもめ」(1965 文学座)などに出演。映画も1966年、吉永小百合主演「私、違って
るかしら」(日活)でデビューを果たします。

 1967年には文学座研究生から座員に昇格。「友絵の鼓」で昇格後初舞台。以後杉村春子さんや太地喜和子さんらとともに
文学座の諸舞台に出演。同じ1967年には、映画「日本のいちばん長い日」(岡本喜八監督)の演技で注目され、1968年度日
本映画テレビ製作者協会新人賞を受賞。以降は長身の性格俳優として舞台だけでなく映画・テレビでも活躍。1970年に出演
した舞台「花の館」は芸術祭優秀賞を受賞。1977年には映画「日本の首領(ドン)」(中島貞夫監督)の演技により京都映
画祭助演男優賞を受賞しています。その後は映画・舞台からテレビに活躍の場を次第に移し、本数が急増していた2時間ド
ラマを中心に数多くの作品に出演しました。1990年には「映像の仕事に力を入れたい」と文学座を退団しフリーに。

 1994年3月にガンがみつかり、夏に入院。翌年には自ら病名を公表して闘病生活を続けました。いったん退院できたもの
の翌年4月再発。家族ともども病院近くに転居して役者復帰をめざしていましたが今年1996年5月19日、膵臓ガンのため死
去しました。享年60歳。
 最近では「鬼平犯科帳」での与力役のほか、少し遡りますが火曜サスペンスの浅見光彦シリーズが印象に残っています。
また、1987年の「木曜ゴールデンドラマ/女の旅路」1993年の「ドラマシティー'93/形のない家族」ではガンに冒された
男を力演、妻の献身的な愛情も描き、今となっては複雑な感じを受けます。

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